石をつかんで潜め(Nip the Buds)

ex俺だって日藝中退したかった

自らの加害性に自覚的になる、つまりは差別主義者として生きていかざるを得ないことへの省察

 

 友人から、NHKが公開している動画を教えてもらい見てみた。それは、小学生女子が、エレベーターで、大人の男に襲われるというものであった。啓発のための動画なので、すんでのところで女児は助かったわけだが、一般男性が見てもゾッとする作りになっているだけあって、 

 と同時に、自分の中で、エレベーターで誰かと二人きりになることが恐怖になるという認識が全く欠如してることに気付かされた。夜道はもちろん分かるし、何だったら、目の前を女性等が歩いていたら、立ち止まるなどするようにはしていた。エレベーターでそれをしなかったのは、エレベーターの中は電気がついており、何より、内部には防犯カメラがついているというのは当たり前のものとして思っているので、そこで他者を襲うということは考えがつかなかった。

 だからこそ、夜道で歩いている時に前を歩いていた女性が走り出しても「いや誰が襲うか!」とはならないが、エレベーターに入ろうとした時に閉まるボタンを連打されるという体験をしたら、乗せろよ!とはムカついたと思う。

 つまりは、男であるということだけで発している自らの加害性に気づけていなかったということになる。

 今の仕事ではチーム制で動いており、正規雇用が僕ということもあって、形式上はそこでは上司ということになっているのだけれど、その部下の一人が、なぜか明確に僕のことを敵視しており、確認などを依頼したりすると、割と強めに反論されたりするなどし、嫌だなあと思っているなどしていたが、ここで何かミスったら、パワハラとなって詰むな、と頭を抱えてしまった。

 また、仕事について説明するときに、僕は理屈から説明するようにしている。それは、その作業をすること、そういった運用になっていることの理由を、土台から説明することで、記憶に留めてほしいということが一番にあるし、何より、自分自身が、ただこれをやってくれと言われるのが大嫌いだからだ。ただ言われたまま、そうして仕事をやったときには全く応用力や自発力が育たない。

 二週間以上前に感染症拡大対策のガイドラインに沿った飲み会をした際に、その場を見ていた人に、笑い話っぽく、嫌味ぽかったと言われ、ふむ、となった。

 その時に説明した業務は、今後も出てくる概念であり、説明するに越したことはないと考えていたから行ったのだけれど、これはチームのうち、僕とは別の専門的な業務を行う人であり、かつ新人だから許容範囲だけれど、そうではなければ、ここまでやる必要はないのかもしれないと思いを改めた。単純な業務を依頼するときには、端的にすることを伝えるのみでいいのかもしれない。その人が自身の成長を望んでいないし、もっと言えば、僕も単純な業務を原則として依頼する立場であるのであれば、僕からの説明を聞いている時間は苦痛でしかないからだ。

 良かれと思っていることこそが、他者への害悪となる例の一つだけれども、これはもう生きていくうえで避けられないことでもある。何をしても、誰かの害である。生きていくということは、撒き散らすことだと定義しても良いのかも知れない。

 例えば、セクシービデオを妻に隠れてコソコソと見たり、非公開リストにセクシー女優をまとめたりしているが、ツイッターなどでセクシービデオのネタを言わないようにしているのも、AV女優をセクシービデオと書いているのは、そうすることによる加害性を自覚するようになったからだ。いまだに、何がセクシービデオだ、欺瞞の言葉じゃねえかとも思っていたりもする。

 僕だけに言えることではなく、例えば、ツイッターなどで、こんな馬鹿なことを言っている奴がいるなどと拡散すること自体が他者にそれらを知らせる行為という意味では加害性を持っているし、正論を述べるアップデーター軍団が正しさを持ってのみ他者を糾弾することで、正しさがもつある種の加害性に無自覚と言えるし、だから僕はアップデーターを信用していない。

 人間は、生きているそれだけで肛門が馬鹿になった動物が糞尿を撒き散らすように、他者に自らの加害性を撒き散らす。絶対、自分より小さな存在を差別する。

 問題はこの撒き散らしを、いかにして抑えるかということを強く意識しなければならない。自らの加害性にどこまで自覚的になれるかというのが、レイシストであり、セクシストであり、ミソジニストであり、ルッキズムに染まっているなどを自覚するということが今後のテーマだなと思っている。