石をつかんで潜め(Nip the Buds)

ex俺だって日藝中退したかった

アメリカの底力がフルスイングで解放されたドレッドノート級の超絶ウルトラCモリスエ傑作「スパイダーマン ノー・ウェイ・ホーム」感想(ネタバレあり)

スパイダーマン ノー・ウェイ・ホーム」見てきました。もう、とんでもない、アメリカの底力がフルスイングで解放されたドレッドノート級の超絶ウルトラCモリスエ傑作でした。大喜利の正解を出し続ける演出、「親愛なる隣人」「大いなる力には、大いなる責任が伴う」、そして「運命を受け入れろ」というスパイダーマンのテーマを、スパイダーマンだけじゃなく、映画として達成している。えげつねえすよ。同人誌とか言われているけど、よーけ知らんけど、めちゃくちゃ権利関係もガチャついているようで、そこらへんをクリアして成し遂げているから、凄いわけで、自由に書ける同人誌とは全然違いますよね。

初代のトビースパイダーマンは好きで、アメイジングスパイダーマンは見ていなくて、アベンジャーズシリーズをほとんど知らないというから最近MCUスパイダーマンを見てから行ってきたという熱心なファンではないにも関わらず、こんなに感動したのだから、古くからのファンはもっとでしょう。

以下、ネタバレ。

 

何より一番感動したのは、ドクターオットを、MCUスパイダーマンが治療したことで、あっこのシーン、えげつないほど、エモスペシャルでしたね。単に、初代スパイダーマンから時を経ての救いというだけじゃなく、アメリカがやってきた政治的なことへの自己批評にも見える。他にも、トムホスパイダーマンの代わりにアンドリュースパイダーマンがMJを助ける。アンドリュースパイダーマン見てないけど、さりげなくその前の会話で、フっていたので、あの演出の良さに気づけた。トムホスパイダーマンがグリーンゴブリンを殺そうとした時に、トビースパイダーマンが止めるのも、あああとなる。時間を積み重ねたことで深みが増すのは、シン・エヴァンゲリオンドラクエ12、キン肉マンなどにもあって、高尚ではないカルチャーでしか到達できない高みもあるってことですよ。

 

脚本も上手すぎたんだけど、何より、「スパイダーマンの正体がピーターパーカーであることを知っている者が来ている」ということで、過去の敵がやってくるということは知っていたけど、そこに、トビーマグワイア、アンドリューガーフィールド演じる、ピーターパーカーが連れて来られていることが分かるところ。確かに「スパイダーマンの正体がピーターパーカーであることを知っている者が来ている」わけで、この脚本の、嘘を吐いていないところがめちゃくちゃ好き。綺麗に騙された。いや、騙されたんじゃなくて、勝手に勘違いさせられた。フィクションでこれをやられるのがめちゃくちゃ好きなので、最高だった。

あと、これまでリブートだからということで、蜘蛛に噛まれたところやおじさんが死ぬところなどを省略しておいて、でも、ノーウェイホームで、おばさんが死んでしまうところも、ちょっと凄すぎる。構成も見事で、前半にアクションたっぷり見せて、中盤はアクション以外の見せ所を作って、また後半は大乱闘アクション。合間合間にギャグをまぶすのを忘れない。ほんと、凄い。

 

呪術廻戦の乙骨パイセンが、エヴァのシンジくんをやっている緒方恵美だということと、キャラクターも相まって、シンジくんだと言われているのだけれど、トムホスパイダーマンもかなり、状況はシンジくんですよね。トムホスパイダーマンのホームカミング、ファー・フロム・ホームを見た後、いやこれ、ヴィランが生まれた理由、アイアンマンの、時として残る「恨み」というカスの後処理じゃねえか。

そのくせ、アイアンマンに叱られる。初見Qの時のミサトさんくらい理不尽に思えてくる。マニュアルもちゃんと作ってないのに、仕事でミスするとめちゃくちゃ使えねぇやつ認定してくる老害野郎じゃねえか。ノーウェイホームでも、魔法使いも、全然話聞かねえし。こいつら、大人としての役割を全く果たしてねえ。大いなる力に伴う、大いなる責任が全然出来てねえ。トムホスパイダーマン、そりゃミスするわ。

 

最後に、ハッピーがCPAPつけているという映画で、マジでどうでもいいシーンがあって、それは深夜ラジオリスナーじゃなかったら笑えなかったので、ラジオリスナーで良かったなあと思いました。

 

 

 

 

アメスパ見たりして、もうちょっとしがみます。

史上最高の肩すかし「マヂラブno寄席2022」と、地下『AUN』「ダイヤモンドno寄席」にて配信初めしました。

 

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 見た人全員が、いや今年も全っ然おもろかったすよ、去年が異常だっただけで、本来、こんなもんですからねぇ、別に満足してますし、つか、今年の方が愛せるんじゃないすかねぇ、と、誰かに言い訳するような感想をみんなが抱いたと思われる2022年の『マヂカルラブリーno寄席』が配信初めだった。
 ちなみに今年の笑い初めは、銀シャリだったが、冷静に考えてみたら、ここ数年はずっと銀シャリのような気がしている。というのも、お正月は、いつもより遅く起きて、『爆笑ヒットパレード』にチャンネルを合わせる。しばらく出てくる色々な芸人を見ているが、寝起きなのと、ほとんどが力が抜けたネタなので、別に笑わない。笑ったとしても、ははは、おもろ、と散文的に笑うくらい。しばらくして、ちょうど、温まった頃合いを見計ったかのようなタイミングで出てきた銀シャリで、腹から笑う。銀シャリは、それでネタを作られたら、森羅万象がネタじゃねえかと思わされるし、笑えるから凄い。
 昨年は、後半こそ少なくなってしまったが、配信を多くみて、笑っただけでいえば、『マヂカルラブリーno寄席」が一位だった。マヂラブ寄席を見ていない者はお笑いファンにあらず、みたいな恐ろしい空気が醸成されていたし、永野のネタで椅子から転げ落ちるくらいに笑ってからは、今年はこれ以上笑うことはないのではないかと眼前の景色の色が無くなり、お雑煮の餅を残した。そもそも、薄味が感じられなくなっていた。
 2022年版は、始まった時点で4500枚の売り上げを叩き出し、野田が「勝ち確定、勝ち確」と言っていたが、トップのマヂカルラブリーへのネタから、ガヤが、「見た事あるネタ」「知ってる」などとしか出ず、明らかに調子がおかしい。
 永野が「ガヤのやり方忘れちゃったよ」とガヤっていたように、その後も、ランジャタイのネタへのガヤも、デスゲームの一番安いチケット席のような罵声が飛び交う。かと思ったら、ゴー☆ジャスに対してはヤジを飛ばさず、地方の進学校で開かれた学校寄席のような態度で厳粛にネタを見ていた。きっと明日のホームルームで、感想を提出しないといけないのだろう。そして、モダンタイムスは、ガヤを欲しがっていることを見抜かれ、冷たくあしらわれる。最終的に、ガヤの反省会をし、険悪な空気になっていたことを含めて、肩すかし史上、最高の肩すかしだったんじゃないだろうか。
 マヂラブno寄席の本質は、ガヤなのか、永野なのかは評価が分かれるところだが、今回かけられた「忍者になった浜崎あゆみ」「土曜日8時『男と女ほんとのことおせーて』」も腹抱えて笑った。永野のファンアートいじり発言に、ショックを受けた人がいるという話を聞いたので、永野の見方をお伝えすると、永野は基本的に、自分の価値観にそぐわないもの、いや、自らの半径3メートルより外のもの全てをバカにしている。極端に視野の狭い、全方向に拗ねた人間だ。その拗ねは、一切世間に届かない咆哮なので、だからこそ、狂っちまうほどに面白い。だからたまたま、永野が自分のスネに攻撃してきても、老害地下芸人が何か言ってらぁくらいで受け止めるくらいで良い。いや、永野さんもファンアートとして書かれたいんだな、と微笑みながら、永野のデフォルメファンアートを一所懸命に書くのがカウンターとして大正解だ。
 むしろ、一番、『M-1グランプリ』関係で承認欲求がきついのは、いや、危ない、危ない、永野にあてられて、悪口を言うところでした。
 新型コロナの感染拡大防止対策としての自粛と、そもそも親戚間の仲が悪すぎるという理由により、親戚周りも無いので、「マヂラブno寄席」を見た後は、暇を持て余していたが、そんな折り、「ダイヤモンドno寄席」に関するさざなみをキャッチした。真空ジェシカも出るので、遠縁の親戚にお年玉をあげたつもりで配信チケットを、購入し視聴した。
 ダイヤモンドの他に、令和ロマン、ママタルト、真空ジェシカ、Aマッソという、コンビ大喜利AUN」で掻き回しまくっていたメンバーなので、面白くないわけがないし、真っ当なものになるわけもなかった。結局、「AUN」の正当な出場者にも関わらず、最終的には「AUN面白かったから俺らもやろうぜ」と学祭でやって結局大失敗に終わるという大学生のような振る舞いになっていた。カオスという言葉では安易に片付けてはいけないとんでもないライブだった。ネタと大喜利の二本立てという建前だったが、実態は違法建築の二世帯住宅で、ギリ、人は死んでいない物件。
 ライブは、令和ロマンのネタから始まり、ママタルト、真空ジェシカ、Aマッソと続く。ネタパートで最後に、ダイヤモンドが出てくるが、実はダイヤモンドの野沢が入院中のため、出演はキャンセルとなっていた。どうなるのか思っている中で、明転すると、ダイヤモンドの小野が、野沢の等身大パネルを持ってきて、サンプラーを使用した漫才を始める。
 小野が普段のツカミの「あれ、車に轢かれた?」「あれ、脱獄してきた?」「ああ、髪切りたいなぁ。あ、今日休みか」に対して、「俺、タイヤ痕じゃねえから」「俺、オシャレ囚人じゃねえから」「俺、喪中の床屋じゃねえから」と、サンプラーを通して野沢が突っ込んでいく。小野が舞台からはけると、令和ロマンの金持ちの息子がきて、「え、金持ちが飼っている犬?」というと、「おぉいっ!」と突っ込む。いつの間にか、ダイヤモンド野沢輸出等身大パネルボケ大喜利ゾーンに突入していた。

 ここから、舞台上のスクリーンに、真空ジェシカのガクが助けを求める怯えた顔が写し出されてから大喜利の一問目が始まるまでは、秩序のある混沌でピークを迎えたが、それ以降は「AUN」が学級崩壊なら、「GANTZ」の「カタストロフィー編」だった。
 「ダイヤモンドno寄席」で特筆すべきことは、少なくともこの数ヶ月の、お笑いに関するトピックを全て押さえておかなければならないほどに知識が必要だったことだ。Netflixでの「浅草キッド」から始まり、「真空ジェシカのネタの飛ばし方」「M−1での競り上がり中のともしげの顔とダウ90000」などなど、もっと隠しお笑いがあるかもしれない。
 真空ジェシカが、地方民に取っては噂だけ聞いているめちゃくちゃやばいライブである「グレイモヤ」のBGMをネタに組みこんでいたあたりは、雰囲気で笑うしかなかった。でも、真空ジェシカの凄いところは、そこから「今年は今笑わなかったお客さんを笑わせる一年にしたい」とガクが弱々しい声で高らかな宣言をするということにつなげるところで、それはまさにそうかもしれないと思わされた。真空ジェシカは、今年の「M-1グランプリ」も楽しみだ。
 マヂラブno寄席をお屠蘇とするならダイヤモンドno寄席は密造酒のようで、余韻と言う名の二日酔いが凄かったので、迎え酒として、純粋に寄席のネタを見たくなり、「ちょうど良い寄席」を募ってみたら、「ゆにばーすno寄席」をレコメンドしてもらってこれも見た。ゆにばーすから始まってネタをたっぷりと見られて満足していたが、冷静に考えたら、2金玉、濃厚BLプロレス、脱衣早口、令和の明日順子ひろしの可能性を秘めたマリーマリー、シンプルに面白い春とヒコーキ、トム・ブラウンと、骨太すぎて、丁度良くはなかったので、チューニングのために、今年は一回、わらたまドッカーンからやり直そうと思いなおした新春でした。
 なにはともあれ、来年のリセットされたマヂラブno寄席と、一回本気で怒られて、かつ野沢輸出も戻ってきたダイヤモンドno寄席も楽しみです。
 何て言ったって、これからは配信の時代なので。

くれげん2021

 12月30日ですね。今日が29日と思って、ただでさえ、短い休みをロスした気持ちでいっぱいです。
 本年はありがとうございました。
 今年の反省点といえばテレビをほとんど見ていないことです。本は読むためのペースが子供産まれてから久々に掴めて、なんとか色々と読めました。フェミニズム系の本も、とりあえずの範囲内で読みました。今後も勉強は続けます。ただし、あるものはあるという、人間のグロテスクな感情、そしてそれを笑いにするということと両立させるために、矛盾を抱えることも忘れずに。生きていくってことは「分かるを集めても全然分かんない」ってことの連続だと、伊集院さんの、LINE誤爆され事件で勉強したので。本で印象に残っているのは何だかんだで「平家物語」。
 配信ライブはそれなりに見ましたが、後半少なくなっていました。本を読むことと両立は出来ないので難しいところ。
 ラジオはめちゃくちゃ聞いた。今年はベストラジオを年内に仕上げるぞと頑張ってランキングを作成したら、まさかの『ハライチのターン!』での「M-1振り返り」が良すぎて、しくじってしまった。
 ベストバイは、バ帽の内側に付ける、ライナーと呼ばれている皮脂や油をガードするために貼りつけるもの、M-1当日のホテル、家族で行った高級ホテル、ワンピースのルフィがカッコいいセブン限定のタンブラーと、IQテスト。IQは119で、ギリ、高いである120に一歩届かずで、自分らしい結果に。ただ、短期記憶や聴覚からの情報処理は128で、高いレベルにあった。ラジオありがとう。Macbookairはまだ、ベストバイに入れていいほど活用していないので、保留。
 習慣について、昼食をカロリーメイトにしていたのが一年以上継続。あと、ブドウ糖を食べるようになった。それが功を奏したのか、帰宅後、頭が働かないみたいなことがあんまり無くなった。運動はほとんど出来ていない。
 ピクミンブルームはまだ地味に楽しんでいる。
 コロナ禍において、我が家は臨時の給付金の対象であり、かつ、自治体や県の政策で、ホテルの補助や買い物に使えるクーポンなどで、結局トータル、金銭的には、支払った市県民税と同額、それ以上の、返りがあったということを記録しておく。ワクチンも他と比べて遅かったということもないと思う。外食をしようとすると、平気でマスクすらしていないお店が大量にあって、コロナ終っても行きたくねえなって思ってしまうなど、それなりにストレスはあるが、これからも過剰に恐れることなく夜明けを待つ。
 三遊亭圓楽伊集院光二人会、ゲスト爆笑問題のライブに行けたことは一生の思い出だと思う。これ一回があったから、一度の東京遠征で一年頑張れた。ネタメール投稿も頑張りたい。爆笑問題はほんとにいろいろあって、まあ後々笑い話になればいいやと楽しんでいる。お笑いでいえば、空気階段キングオブコントを獲り、真空ジェシカM-1バチバチに印象を残していた。アルピーチャンネルも面白い。全部見るぞ!っていう熱をもたなくても良いのが良くて、立ち食いそば探訪やサウナめぐりなんて、東京行きたくなって泣けてくる。そばと言えば、ウォーキング番組のひむ太郎も忘れてはいけない。「水曜日のダウンタウン」は、今年は超当たり年だったと思う。
 ジョジョ六部、七部を読みなおしたらめちゃくちゃ面白かった。後、最近、妻とイカゲームを見て、イカゲーム自体は、そんなに面白くなくて、後半がギリ許せるってレベルだったけど、妻とドラマを完走したということが良かった。
 長文ブログなんてもうあんま求められてないんだろうなって思う反面、まだまだ書きたい、お笑い系の文章の案があるので、まあ普通に文章書くと思う。でも、ここらで、何かしら、それこそ書籍になるような分量と企画の文章を書くという行為をしないといけないなとも思っている。小説だろうがそうじゃなかろうが、とりあえず、インスタントなものではない何か。
 あと、やたらとさらにスカートの澤部さんが好きになり、配信で観た「ワンマンライブ "The Coastline Revisited Show"」は最の高だった。海岸線再訪の歌詞「足りないものはある。数は重要ではない」は泣けます。エモ・エ・シャンドン。
 来年は、東京、愛媛に行けるのでしょうか。行けたら、みんな遊んでください。
 それでは、みなさん、良いお年を。
 暮れの元気なご挨拶でした。
 僕から以上!

バカの一年、石をも通した『M-1グランプリ2021』感想

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 どうも、芽むしりa.k.a電柱理論です。ブログタイトルは「石をつかんで潜め」。どれか一つだけでも覚えて帰ってください。

 今年は市内のホテルで『M-1グランプリ』を視聴しました。子供が出来てからというもの、賞レースリアルタイム出来ない問題に対して、ネットカフェに行ったりするなどの対策を取っていたのですが、今年は、新型コロナウィルスによる経済活動の喚起の政策のためのホテルの宿泊料金を補助するクーポンがあったので、それを使用したのですが、結論からいうと、これが大正解でした。
 これまでは、まあ、ホテルに泊まるまではしないでも良いかなと思っていたのですが、来年以降もやっちゃいそう。
 お昼の3時にチェックイン、それからすぐに部屋のテレビをつけて、敗者復活戦を見る。敗者復活戦が終わってからは、コンビニに行き、お酒とスナックを買う。それからレストランに行き、ディナーを食べながら、twitterで敗者復活戦の感想とフォローしている人たちが、敗者復活戦で誰に投票したのかをチェックする。30分程度で急ぎながら食事を終え、本戦が始まるまでに部屋に戻り、長いオープニングの間に、今年買ったばかりのMacBook Airを開き、すべてのスタンバイを終える。
 大会が終わると、宇宙最速と嘯いた感想をドロップし、他の人の感想をサーチ、しばらくしてお風呂に入って落ち着く。お風呂から上がってから、また感想を読み、少しの夜更かしをして、翌朝は平日よりも遅く起きる。
 最高でした。敗者復活戦から本戦までの一時間弱は、忙しなかったけれど、それすら楽しかった。
 我が家では、月に一度、育児から離れることが出来る日を設定して、その時はそうじゃない方が留守番をするというシステムを導入して、互いの調子を整えている。今回は、それを使用しました。何人たりとも、この運用を批判することは出来ない。自分が個として尊重されることが、他者を個として尊重されることの第一歩なわけですから。
 さて、毎年恒例になりつつあるネタ評スタートです。なお、今回の評で、バカという言葉が出てきますが、それは、落語でいうところの与太郎の意味合いでのバカですのでご了承よろしくお願いします。

(予選ラウンド)

1組目 モグライダーさそり座の女
 昨年のウエストランドと同様に、東京のライブに足繁く通っている、または過去形の人たちの思いが乗っかった枠。それくらい、ずっと、何で売れないんだと言われつづけてきたモグライダー。せりあがってくる途中のともしげが既に死んだ顔をしていて心配になりましたが、大会の幕開けとして最高のネタでした。
 明らかにバカそうな男が、「美川憲一さんって気の毒ですよね」と、突飛なことを言いだす。理由を問うと、『さそり座の女』の歌い出しの「いいえ、私はさそり座の女」で「いいえ」って言っているということは、歌う直前に当てずっぽうで星座と性別を聞いてきた輩がいるからだと、もっともらしい話を続ける。それから、美川は星座と性別を当ててもらえなかったから、「そうよ、私は」と気持ち良く歌いたかったのに、「いいえ、私はさそり座の女」と落ち込んじゃっている、聞いてきた輩も良かれと思って聞いたのに外してしまい落ち込んでいるので、「この二人をウィンウィンにしてあげたい」「だから、美川さんが歌い出す前に『さそり座の女』である可能性をぜーんぶ消してあげればいいんですよ」と、ともしげの本当の主張が発表される。
 結局ここまで聞いても良く分からないので実践ということで、芝が口でイントロを再現、そのイントロの間にともしげが美川に星座と性別を尋ねるも、正解に辿りつかず、芝が「いいえ、私は」と歌い始めた時の、観客がこのネタのシステムを理解したということを証明する、どっという笑いはとても気持ちよかった。
 そこから、同じことが反復されるのだけれども、男か女かという最後に一回だけ聞けばいい問いを何回も聞く効率の悪さが、美川さんと毎回騒ぐ時間のロス、全てを放棄して祈りはじめるという、ともしげのニンが滲み出たバカのお陰で全く飽きさせなかった。
 芝もそれにひとつひとつ助言をしていくというのは、古典落語にある、与太郎にご隠居が物を教えて、その失敗を笑うという昔からある構造だからそもそも強く、反復するネタがありふれているが、こんなに笑えるのはなかなかない。
それは、反復することでも少しずつゴールに向かって行っているというもので、だからこそ、反復に意味があるからで、それがかなり新しく思えるからだ。このネタは、反復ネタを推し進めたネタだと思う。
 余談だが、『ラップスタァ誕生』『フリースタイルティーチャー』『流派R』を欠かさず見ているという音楽情報が偏った妻に教えてもらったから真偽のほどは不明だが、最近は、バズりやすくするために、イントロを無くしているらしいと教えてくれた。だとしたら、目先のウケのために、こういう風に、何十年も先にネタになるくらい愛される曲となる可能性を一つ潰すとしたら悲しい話である。
 好きなくだりは、「乙女座ですか」という問いがイントロのメロディに引っ張られてしまうところと、イントロが始まった瞬間からともしげが祈ってからの「なんでここまで来て運だけでいけるって思うんだよ。頑張れねえ奴が神社行ったってしょうがねぇだろ」。

 

2組目 ランジャタイ「風猫」
 
 2番目に出てきた時点で爆笑しました。
 風が強くて一歩も外に出られない日という話題から、風に飛ばされてきた猫が耳から国崎の体に入っていき、国崎を操作するというネタになるなんて、ランジャタイを知っていても想像はつかないだろう。
 風猫というのは公式のタイトルだけれども、とてつもなく良い。落語のタイトルの付け方のセンス。落語のタイトルは、基本的に、誰がどのネタをやったかを楽屋の落語家に伝えるためだけのメモ書きが由来となっており、例えば、「芝の浜で財布を拾った」から「芝浜」、鼠が蔵に穴を開けるシーンがあるから「鼠穴」だったり、町の餅屋で働いていた娘が店と揉め事が起きたので、娘が人気芸者の妹のところに駆け込んだことから始まる「総出餅」などがあるが、そういった情緒がある。「総出餅」は嘘。
 風に飛ばされてきた猫を名前までつけて飼うことにして家に戻り、可愛がっていたら耳から入られた時の笑顔から困惑の顔への変化とその感情が乗っかった「にゃんちゃん」からの裏切られたことへの怒りの「頭入ったこいつー」の言い方、引き戸を開ける音、風にあおられて顔が揺れる音といった口で再現する音も上手いし、ムーンウォークも出来る。これら国崎の芸の巧みさが奇天列な世界観を、現実世界に具現化させている。発想は突飛なのだけど、地に足が着いている。ランジャタイの漫才が落語に通ずるとすれば、ここだ。ダブル将棋ロボでネタが終り、座ったままの国崎がそのままスムーズにお辞儀に移行したところなんかは、ほんの一瞬でも、ずっと座っていたんじゃないかと思わせるくらいだ。
 風猫に操られて、将棋を指す動きをさせられ「将棋ロボだー」というボケって前後の繋がりが全く無いナンセンスな笑いなのだけれど、ここでかなり大きな笑いが起きているのはさすがに痺れる。
 他にも、何度も繰り返し見ていて気がついた、猫が国崎の頭に入り込み、コクピットをいじった時、「頭のコクピットに・・・」と国崎自身が言って頭を押さえていたところなんかは、国崎が自分の頭の中にコクピットがあるということを自覚しているという意味で改めてめちゃくちゃ笑ってしまった。こういう想像の余地がある笑いがあるもランジャタイの凄いところで、勢いだけなんだなんてと舐めちゃいけない。普通の人が奇天列な世界観に迷い込んだのではなく、もともと奇天列な人間に降りかかった奇天列なトラブル。これはまさにギャグ漫画の世界観だ。混沌ではなく、秩序がある、その秩序の法則がわからないだけだ。
 にゃんちゃんの尻尾が耳から出てきたので国崎が引っ張って出そうとするけれども、にゃんちゃんはレバーを掴んで耐えているという特殊な状況なのに、伊藤が、「にゃんちゃん出ておいで、にゃーんちゃん」とまるで車の下にもぐりこんだ猫でも呼ぶかのような、日常的なセリフが挟みこまれるところは、その言葉が持つ意味そのものが変容する。それが脳を揺すってきてたまらない。誰の街にも、伊藤みたいな見た目をした猫好きのおばさんはいる。
 今回、ランジャタイが出ていた中での唯一のミスと言ってもいいのが、伊藤が風に飛ばされてきて国崎の顔に貼りついた猫を「新種?」と言ったことだ。この時点で、伊藤はこの猫、風猫のことは、単なる飛ばされてきた猫であり、頭から入っていくという不思議な猫だということは知る由もないので、新種って言ってしまうと、そこに矛盾が生じてしまう。あくまで普通の猫だとして扱わないといけない。あとは一ミリのミスも無かったです。
 ネタ後も、敗者コメントも含めて見事に真剣にふざけ通していて面白かった。オール巨人パネルだけじゃなくて、猫ににゃんちゃんって名づけることでウッチャンナンッチャンのナンちゃんもうっすらと連れていってる。隠れ南原。
 好きなくだりは、伊藤が言った一回目の「ン猫ッ」の「ン」と「ッ」、「将棋ロボだー」からの「かわいそぅ、相手もいないのに、かわいそうっ」と、にゃんちゃんがエレベーターでお腹に行って紐を引っ張ったら腕が引っ込んだところ、スリラー、二匹の猫が出会った瞬間の国崎の顔。
 
3組目 ゆにばーす「ディベート
 三年ぶり三回目の決勝進出のゆにばーす。
登場するなり、はらが観客に拍手を促し、場を盛り上げ、「せーの」と声をかけてから観客の拍手を、ぱんっぱぱぱんっと手締めでまとめてからの、トーンの低い「悩みあんだよ」という、華も人気もある、はらでなければ出来ない美しいツカミ。
 出てくるテーマが危ういもので、あえてかけているのか、なんというか、寄席やライブという悪所での漫才を見ているようでちょっとワクワクしました。M-1で、ゆにばーすだけ、敗退コメント含めて危ういワードをいくつか入れ込んでいて、あれを聞いた瞬間ざらつくような感情になるんだけど、やっぱり、僕は大好きです。悪所としての寄席の匂いがするワード、興奮する。素人が思うこれテレビで言っていいんか?炎上しないか?って感情なんてクソよ。
 好きなくだりは、ツカミ、男女の友情の存在の話題での「じゃあ、うちらってどうなんの」からの「俺、爆裂不利やんけ」、「しばいたろか」からの「触って無い触ってない、触ってないですよ」。

 

4組目 (敗者復活)ハライチ「運動」
 正直にいうと、良くも悪くも、敗者復活から勝ち上がるとしたらハライチの可能性が高いだろうなと思っていた。それでも、ハライチが敗者復活枠としてファイナリストになったという時は、その思い入れもあり、興奮した。
 岩井が「大人になると運動しないから、体なまりますよね」と言うと、澤部が同意し「運動始めようと思いまして、登山をやろうかなと思いましてね」と返す。澤部がそう言い終わる前に、岩井は「無理よ登山は。年とって出来ないから登山は」と否定し始め、澤部は登山を始めたいという話を続けるも、横で岩井も否定を続ける。頭ごなしに否定する岩井に、澤部もいら立ちを隠せずにトーンが上がっていく。今度は岩井が「俺は普通にね、ジムに通おうと思っている」と言うと、澤部が「ジムぅっ。一番無いですよね。」と岩井を否定し始める。しばらく澤部を無視して、ジムに入って運動する話をしていたが、急に「うるせえぁなああぁっ」とブチギレて、マイクから離れ、地団駄を踏み、怒り続ける。
 これ、岩井の澤部否定だけなのか、尻すぼみになるんじゃないかと、ダレを予想し始めた直後の転調。このネタは、『ハライチのターン』での「オートママニュアル論争」「ダブルチーズバーガー論争」の楽しさを落としこめたものだった。
 とはいえ、フォーマットで推し進めるこのネタは、他と比べると、ワードで笑いたいなど賞レースに毒された欲求までは満たしてもらえなかった。だから、思う様に点数が伸びなかったというのは、そこまで予想外という結果ではなかった。運動の話から、巨大ロボは段階を踏まないと、発想として途切れすぎているので、少しブレーキがかかってしまう。
何より、これまでの澤部を軸とした笑いのネタではなく、これまでのハライチの漫才のパブリックイメージそのものをフリとして、岩井で笑いを取ったということは、ここ数年の岩井の個としての活動が、岩井という人間を周知してきた結果だということでもあるので、これをこの場でかけられたことは、例え負けたとしてもハライチに取って絶対的に良いことであると思わせる漫才だった。この数年のハライチは、賞レースに相応しいフォーマットを作りあげていたし、それを練り上げたら、もしかしたら優勝出来たかもしれないが、岩井が地団駄を踏むような今回のネタは、『M-1グランプリ』への最後っ屁みたいでカッコいい。
 敗退コメントでは、澤部は「楽しい15年間でしたよ、ありがとうございました」、岩井は「M-1グランプリありがとう、楽しかった!」。岩井はそういった後、照れくさそうに笑っていたのは、もしかしたら、本人はボケのつもりで言い始めたけれど、口から出た瞬間、本音になったからで、まさにM-1をきっかけに若くして世に出たハライチのM-1ラストイヤーを締めくくるものでした。お見事でした!
個人的に、漫才を始め演芸というのは、あらゆるものから自由であり、解き放たれるべきものだと考えている。賞レースの功罪の罪の部分としてよく言われる、勝ちやすい型にはめられてしまうみたいなのがあるが、自由というのは、そういった制約を経て得るものである。そうなると、今後は漫才師として自由であるハライチが見られることになる。そう思うと、やっぱりワクワクせずにはいられない。
 好きなくだりは、怒られ慣れてないから澤部への噛みつきと、『ハライチのターン』(2021年12月23日放送分)での振り返りトーク

 

5組目 真空ジェシカ「1日市長」
 決勝当日が近くなったころ、「吉住」のネタが仕上がっているという噂が流れてきた時は心配になったが、堂々とした姿を世間に見せつけていて嬉しかったです。真空は早くて来年だなと思っていた自分が恥ずかしい。
 真空ジェシカには、「グラデーション転校」というネタがあって、それは「転校生が初めて教室入る時は、アウェーなので、転校生が教室に入る前に、そのクラスに友達がたくさんいる隣のクラスのやつが先に入ってくる、そっから徐々に関係性の薄い人が入っていって、最後に転校生が入ってくる。」というもので、「ニ期下のウッチャン」などめちゃくちゃおもしろいくだりがあるのだけれども、このネタの弱点として、ひとつひとつのボケの強度は上がるが、場面展開としては停滞するし、どうしてもボケとボケの間の脈絡が断ちきれるので、笑いが散発的になってしまうという欠点がある。大喜利ライブのダイジェストを見ているようなイメージだろうか。
 今年は真空ジェシカの配信ライブを、今年一番かっこよかったライブタイトル「曽根崎心中」を始め、出来る限り見ていたが、「宝探し」のネタをよくかけていた。こちらは、宝探しのために遺跡に行って探検するというネタで、ストーリーが展開していくので、笑いが繋がりやすく、重ねて笑っているなあという気持ちになりやすい。
 「1日市長」は、「グラデーション転校」のように笑いを早めに起こし、それから「宝探し」のようにストーリーを展開させていく。そのことで、異なるネタの良いところを取り入れている構造となっている。
 しかも、冒頭の「1日市長」から派生するボケの「10日副市長」「2ヶ月会計」「5秒秘書」を並べて、それに「罪人と書いてつみんちゅ」というボケを入れるために全員の苗字を沖縄の苗字にして、そしてそこにガクがつっこんでいる間に、5秒秘書が帰るというくだりも自然に出来て、ポリフォニックな笑いにもなっているのでめちゃくちゃ良いスタートを切る。
 そこから市長が出てきて、PR活動のために市内を巡回していくが、そこからどんどんボケまくる。ひいき目かもしれないけれど、やっぱりボケのひとつひとつの強度が凄い。
「お詫びして定時制入ります。」や「冗談は縦置き」など、1文字変えるだけで全く意味が変わるというボケも凄まじく好きだし、真空ジェシカが得意とする、2ちゃんねる(今は5ちゃんねる)的な笑いである「立て読みしたら、たすけてになっている」というのを、「ヘルプミー」の手信号としている。その前に、二進法を片手で表すということをフリにしているんだけれども、それが単体で、すでにきっちり重いボケとなっているから、点数稼ぎの伏線回収という厭らしさがない。1日市長に「初日なんで気楽にやっていきましょう」という、ツッコミで気付かされるタイプの笑いもあるのが気持ちいい。
 別の一日市長が近くを通っているからと、川北がガクを隠した後、ガクが「ミッキーみたいなことですか」と言うと、川北はくっくっくと笑って「ミッキーはひとりじゃないですか」と言い、ガクも「あ、そうですよね」と返す。そこで終わっても良いのに、「ハツ笑いだ」「つまらない一年だった」なんかも、その前で終わっても良いのに、追ってボケてくる。弱点があるとすれば、グルーヴ感がまだまだ生まれにくいというところか。
ツカミの「言うとしたら僕~」とのあとに、川北が悔しがるというムーブをしていて、初めてそれを見た気がして、そこで初めて、あれって川北は言われて悔しかったんだと気付かされたんだけど、そういう見せ方の変化もいい。
 真空ジェシカは、基本的に、考えボケなので、早くつっこまれるよりは、ちょっとこちらも考える時間がほしい。そう言う意味では、ガクのというツッコミ前の「あー」は、貯めとなっているので、めちゃくちゃ必要というか、マッチングしている。「ハンドサインでヘルプミー」で強くつっこめることも証明している。
 新しいタイプのボケをしていることが伝わったのか、初めて組みにしては絶賛されていた。そしてそれを受け手の「センスが合って良かったです。」という川北の返しは、可愛げがなくて最高でした。
 好きなくだりは「まぁ冗談は縦置き」「あ、横置きでも良いですけど」、饅頭屋のおばあちゃんの「二進法のニは片手でこう表せますよ」と「ハンドサインでヘルプミーってやってた」。よく分からなかったくだりは「キムタクのハンバーガーの持ち方」からの「虫みたいでカッコいいんだよなぁ」。

 

6組目オズワルド「友達」

 順当な優勝候補。であると同時にそのプレッシャーは測り知れないものであろうし、今年優勝すれば、ちょっと今後は難しいんじゃないかと勝手に心配していた
 畠中が「あのー、こないだほんっとまいっちゃったんだけどさぁ、友達と渋谷のハチ公前で待ち合わせしてたんだけどさ、待っても待っても全然友達来なくて、ニ時間くらい待った時に気付いたんだけど、俺友達なんていなかったんだよね」と言い、伊藤が狼狽してネタが始まる。このツカミから始まった「友達が欲しいから、伊藤の友達を譲ってほしい」という、前後のセンテンスの論理が微妙に噛み合わない変人の畠中と、そんな人に対して無理やりにでも常識の範囲に抑え込もうとして徐々に苛立ちを隠せなくなっていく伊藤の会話、最後まで聞いた結果、全く生産性が無かったという、まさにオズワルドの真髄ともいえるネタでした。素人目に見ても、練りに練ったんだろうなということが分かる。それくらい、台本は完成されている。好きなくだりも多い。
 ただ、これは後出しジャンケンになってしまうが、何度も見返してみると、ちょっとネタが走っているような気もしてきた。畠中のボケを聞いて伊藤のツッコミを聞く間に、自分で考えるための時間がもうコンマ数秒ほしくなってきた。これが、ちょっと後々、尾を引いてしまったのではないか。
 好きなくだりは、伊藤が「俺友達ゼロの人ってよく分かんないからさ」とフッたあとに畠中が伊藤の友達を欲しがって「もちろんあれだよ君の中で一番いらない奴でいいから」からの「あ~、こぉれがゼロかぁ~」、「あげらんないよ友達は」「だったら、俺のお気に入りのズボンと交換しない」からの「あんま舐めんなよ、おまえ。なんで俺が自分の友達とサイズの合わないズボン交換しなきゃいけないんだよ」と、「双子の友達とかいない?」「双子はダブってるからあげるとかないから」と、小林の悪いところを羅列してからの「小林いらねえなぁ」。

 

7組目 ロングコートダディ「ワニ」
 ロングコートダディはしれっと数年前から敗者復活の常連で、生粋のコント師である彼らは、様々なフォーマットの漫才を試していたという印象がある。今年は『キングオブコント』の決勝の舞台には立てなかったが、『M-1グランプリ』のファイナリストとなった。
 そんな中で披露した「ワニ」は、技化し、システム合戦、フォーマット合戦となった『M-1グランプリ』のなかで、彼らの柔和なイメージが滲み出ていた、ファニーでファンタジー要素のある素晴らしい漫才コントだった。
ただそんなネタにも、ハードなボケが入っていて、初めて聞くとぽかんとする「やわらかハード」というキャッチコピーはあながち間違いではないと思わされる。
ロングコートダディのネタのハードな部分とは何か。
 ひとつは、堂前が兎に「生まれ変わったら何になりたいか」と尋ねると、兎はワニと答える。きちんと来世でワニになるために、生まれ変わる練習をするために兎が死んだ後の魂をやることになった後、堂前が「天界全体をするわ」と言い、「いける!?」とつっこんだところ、笑ったんだけど、よく考えると、基本的に漫才コントでは、一人は同じ役をやり、トライアンドエラーを繰り返すが、もう一人は様々な役をやっている。実際、ネタ中、堂前は兎の死んだ後の魂役以外の、死んだ魂への最初の案内と、生まれ変わり先を振り分ける役、生まれ変わり先の細かい設定を説明する役をこなしており、きちんと天界全体をしている。それは漫才コントでは別段凄いことでもないのだけれども、それを笑いどころとして作っているって、ちょっと目からウロコなボケだ。そして、天界の窓口が三つに分かれていることに加えて、生まれ変わり後の世界もあり、舞台の上手と下手を使って四つの場面を行き来するので、リズムが単調にならずにすんでいる。
 もうひとつは、兎が、申しつけられる生まれ変わり先がしりとりになっていることに気が付き、ワニを待っているところで、「ラコステ」という言葉を聞いて、兎が「あっ、ワニ」と走りだすも「あっ違うわ」と戻るくだり。ロングコートダディが『キングオブコント』でかけた「井上さん」というネタで、井上さんは頭が悪いゆえに効率が悪い仕事しか出来ないのだが、その様に新人バイトが戸惑っていると、「どうしたぁ、段ボール初めてかぁ」と聞くシーンがあるが、それと同じように「ワニを待ちすぎてラコステに反応してしまう」というこのくだりは、「ないない」の世界での「あるある」としてとんでもなく秀逸なもので、そんな心にぐっと踏み込んでくる形のボケを予想出来ないところに挟みこんでくるところが大好きだ。
肉うどんとなって吸われる兎の顔が面白いだけの漫才じゃない。
それはそうと、鉄アレイの天寿とは何なのかと考えると少し怖くなってしまう。
 好きなくだりは、「死んだ後の魂やってもらっていい?俺は天界全体をするわ」からの「いける!?」と、「あっ、ワニ」と走りだすも「あっ違うわ」と戻るくだり。

 

8組目 錦鯉「合コン」
 掛け合い全捨てバカ全振り。初見ではちょっとツッコミが激しすぎて、軽く心配になってしまったのですが、二回目以降は、めちゃくちゃ笑ってしまう。もともとあったネタだと思うのですが、長谷川が五十代を迎えたこと、そしてバカが認知されたことで、このネタの主軸である空回りするおじさんの悲哀がより鮮明になり、より笑いやすくなっている、いわゆる体重が乗っかっているものとなっている。
「みんなより、ちょっとお兄さんか」からの「お父さんだよ」というくだりは、やっぱり47だとまだ生々しくて笑いにくい。
 合コン相手から冷たくあしらわれたことで、ムキになり、場の主導を掴もうとするというところが、畳みかけになっている構成は、自然でよくできているし、「乾燥したかかと」でドッと沸き、そこで、電気椅子でさらに追い打ちをかける。さらに良いのは、古今東西を始めて、自分に有利な「50歳過ぎたら、体の痛くなる場所」というお題をだすところ。この期に及んで、ゲームには勝とうとしているダサさ。渡辺が「ずりーよ」という補助線も見事。
 好きなくだりは、後半の畳みかけ途中の「おめーしかしゃべってねぇ」からの「みんなはさぁ、好きなアルファベットってある?」「俺は6!」での「バカだなほんとにお前はよ、あれ数字っつーんだよバカ」、「50歳過ぎたら、体の痛くなる場所」からの「ひーざ!」。

 

9組目 インディアンス「怖い動画」
 インディアンスに関しては技術についてどう進化したということは話せない。そのため、ネタの運び方への印象論となってしまうが、これまでは田淵のボケのために、きむがわざとずれたツッコミをしていたが、そういうことが無くなっているのでノイズがなくネタを見れる。ただ、ボケの切り口は全て同じような印象を与えるものであるので、全体を通すとやっぱり平板なものになってしまう。もっと重めのものや、違和感のあるもの、何だったんだあのくだりはみたいな、違和感を覚えるようなくだりが欲しい。恐怖の館で、写真を撮ったら、SNOWみたいな加工になっていたというくだりで、きむのツッコミを完全に無視して、田淵が無表情で、左右交互を向きながらベロを出して「んベー」「んベー」というというボケがなんか面白かったのだけれど、田淵は実はこういうボケ方も得意なのではないだろうか。
 趣味として怖い動画を見るという話が、肝試しになってしまっていたり、単純に冬に肝試しのネタは合わないということもある。そして今ふと思ったのだけれど、インディアンスがサンタクロースのネタをすれば、楽しいネタになり爆発しそうだということだ。そして『M-1グランプリ』が、一年かけてネタを練って、それをかける舞台である以上、意外と冬のネタが無いことに気がついた。ダイアンの「サンタクロースを知らない」ネタくらいか。
好きなくだりは「恐怖心が行方不明やわ」からの「恐怖心のやつ、東京行ったらしいな」と、号外のくだり。

 

10組目 もも「欲しいもの」
 今年は準決勝のライブビューイングが無かったこともあって、めちゃくちゃ悩んだのだけれど、準決勝の配信ライブを見送ることにしました。情報をこれ以上得るのは止めようと。これは毎年悩んでいます。
 全くネタを見た事ない大阪の若手がいるということだけで、M-1グランプリが漫才の大会としてピリっと絞まる。何の情報も無いけれど、これまでの歴史が作る幻想をまとっているので、まくってそのまま優勝する可能性もあるぞという緊張感を産み出す。
お互いの顔を、「何々顔やろ」と言い合う、ルック大喜利漫才。
 初見はその勢いで笑ってしまうのだけれども、そのシステムが分かると、各々の見た目への偏見は、まだまだヤンキーとオタクのステレオタイプから抜け出せていないことが気になってしまう。もっとエッジの効いたあるあるや、バチっとはまる飛躍が欲しくなってしまう。ぐっと踏み込んだものが無かった。チャンピォンと比較するのは申し訳ないが、ミルクボーイやブラックマヨネーズが、顔を左右に大きく振りながら、会話を追ってしまうのに対して、ももは目を動かすだけで会話を追えてしまうというイメージ。会話のふり幅がまだ少ない。
一つのお題に対して、掘り下げずに、すっと行ってしまうから、会話ではなく、羅列になってしまう。
 まもる。に対して、「チャンピォンベルト顔やろ!」と、せめる。に対して「ラウンドワンでギャラリー作る顔やろ!」と、もっと実は褒めているというひねりも欲しい。
そんな感じでまだ粗々ではあるものの、やはりポテンシャルをひめる。な二人。
 それはそうと、せめる。が守る顔で、まもる。が攻める顔だろ。

 

最終決戦 1組目 インディアス「ロケ」
 
「今よりもっと売れたい」という話題からの入った「ロケ」のネタ。
 一本目と二本目の完成度の差は素人目にはつかないほどで、こういうテンポを重視した漫才をやるコンビは沢山いると思うが、一年間で二本も産み出してくるのはインディアンスくらいだろう。出る側としては、インディアンスが決勝の場にいるということ、そして実際に徐々に順位をあげているという事実は、めちゃくちゃ恐怖だろう。
 好きなくだりは、サザエさんが「いっせーので」をするところ

 

最終決戦 2組目 錦鯉「サルの捕獲」

 街中に逃げた猿を捕まえたいという長谷川が、捕獲にチャレンジする。

「こんにちわー」からの「覚えろよ」というツカミからかなり二本目であるということを意識して構成されているネタ。
 例えば、前半の、「猿を捕まえたら顔を引っかかれる」を3回繰り返すところ、猿と間違えておじいさんの首をつかんで揺すった後に長谷川が放り投げたおじいさんを渡辺がおじいさんの置き方を説明するところは、それぞれ後半の「バナナを使った罠をしかけたら自分でひっかかる」ところと、暴走した長谷川を渡辺が捕まえた後にそっと置くというところの基礎と応用のように配置されている。それでもいやらしさがないのは、バカが突き抜けているから。
いずれも後に出てくるほうが面白いから、尻上がり感もあるし、「ライフイズビューティフル」という、しっとりとした終わり方も余韻があって素晴らしい。
 猿を追いかけていると、長谷川が「あっ、森の中へ逃げ込んだ」とがっかりしてからの、渡辺の「じゃあ、良いじゃねえかよもう」とツッこむ。ツッコミがツッコミとして機能し、「た、確かに」となっていることが分かるような、間の後に笑いが起きて広がるところ。観客全員が、長谷川に引っ張られてバカになっているということだ。ツッコミもここだけ優しくなっているのもいい。面白いけれども、観客としてはちょっと休めるから後半でより大きく笑える。もしここも、そのまま強いツッコミだったら、もしかしたら、途中で疲れちゃってたかもしれない。
 好きなくだりは、長谷川の「業者下手じゃんね」という謎の舐め、「猿を捕まえたら顔を引っかかれる」を3回繰り返すくだり、「あっ、森の中へ逃げ込んだ」からの「じゃあ、良いじゃねえかよもう」。

 

最終決戦 3組目 オズワルド「割り込みしてきたおじさん」
     
 畠中がラーメン店に並んでいたら、おじさんに割り込みされたネタ。
 畠中から言ってきたはずのおじさんへの文句に対して伊藤が悪口を言っていたら、伊藤から、おじさんが可哀想だと言ってきてから「君におじさんの何が分かるの」と畠中に問う。そこから伊藤が「なんにもわからないねぇっ」とつっこみ、そこから「俺はおじさんのためなら死ねる」「そんなバカな!」と続けたところから盛り上がってきたが、逃げ切れなかったか。
 前二組の勢いと、バカに焼き尽くされたからなのか、リアルタイムで見た時はどうにも、前半で乗り切れなかった。見返すとやっぱりめちゃくちゃ面白いしオチも綺麗なのだけれど、どうしても一本目と比べると、ちょっと劣ってしまう。一本目よりも畠中の主張に、奇人なりのロジックが薄いのも気になった。ただの変なことを言う人になってしまっている。
 好きなくだりは「キミ、さすがにおじさんに悪口言いすぎだから」「いや、お前が最初にそのおじさんムカつくって言ったんだろ」「ほんとうに言ってない」からの「言ってないはチンピラだよぉ~。さすがに発言が刺青過ぎるって」、「キミにおじさんの何が分かるの」からの「なんにもわからないねぇ~」、おじさんを許せない畠中と許したい畠中がカミシモを切ってからの「ちょっと分かりやすくしてくれてる」。


 優勝は、錦鯉。凄かった。

 昨年で名をあげて、忙しい中、ネタも二本、しかも毛色が違うものをかけてきた。構成も含めて、錦鯉の笑い方を知られていたということに甘えない戦い方だった。まさのりさんのラストイヤーは56歳なんて言葉があるけれど、ラストイヤーに出ても面白いし、優勝しそうなくらい、錦鯉の漫才は、年を重ねれば重ねるほど面白くなるし強くなる。
 正直、今年は総評が何も思い浮かばないです。
 面白かったー。こういうブログを書くときには、ほんとうに何度もネタを見返すので、笑わなくなることがほとんどなのですが、そのたびに発見があるネタが多い。これが何を表すのかはわかりません。
 今後、人間ドラマにかじをきってしまうのかは、それはもう誰も分からない。下手したら、来年10年以内に戻すとかもあるわけですから。
 それではまた来年お会いしましょう。 

 何か思い付いたら、追記します。

 

 

 

(宇宙最速版)M-1グランプリ2021 初見感想

 『M-1グランプリ2021』が無事、錦鯉の優勝で幕を閉じました。

 初出場が半分を占める、ランジャタイと真空ジェシカが入っている時点で波乱が起きることなどが容易に想像できた大会だった。発表されたファイナリストの面々が、あまりに、漫才をさらに革新の方向に進めるようなものであったということでお笑いファンは滾ったということもあるが、それは、昨年の未知のパンデミックであるコロナ禍に置いて大成功をおさめた『M-1グランプリ2020』からくる信頼のためでもあっただろう。

 カオスだ混沌だと大会前から言われていましたが、蓋を開けてみれば、序盤こそ荒れそうだったものの、漫才師な大会だった。

 三連単は、オズワルド、ランジャタイ、錦鯉にしました。今年はテキストの笑いが来るという読み、ランジャタイ国崎のコラムを読んで感動したという事実を切り捨て、DJKOOの予想を反映、真空ジェシカなどへの情を排して予想してみました。正直、それでも5分の一くらいの可能性あったと思ったんですが、やっぱり外してしまいました。

  興奮冷めやらないまま、記憶だけを頼りに、バッとこの記事を書いています。記憶ミスがあってもご愛嬌。

 それではスタート!

 

ファーストラウンド

 

1.モグライダー

 シンプルな反復の構成なんだけど、「さそり座の女」のイントロが終わるまでに、星座と性別を当てにいくも外してしまうというお題がそれに耐えうるし、ギャンブル性もあるという射倖心を煽るネタ。で、何より、ともしげのフルスイングな馬鹿が、それは錦鯉もそうだけれど、アラフォーから映える。この年齢で馬鹿なら、安心して笑えるというのがあるのかも知れません。

 挨拶でロスしてしまうというのもものすごく馬鹿で良い。

 

2.ランジャタイ

 風の強い日に外に出たら風に飛ばされた猫が顔に引っかかって、その猫が耳から体に入っていくという、コロコロコミックへの持ち込み作品の中のボツを煮込んで作ったような作品。

 これ香盤がもっと後だったら、腹ちぎれていたでしょうね。 

 元々点数のバラツキは予想していましたが、そうなっただけでランジャタイはもうとりあえず顔見せは良いでしょう。二本目も見たかったではありますが。

 

3.ゆにばーす

 凱旋!!!

 登場するなり、パンパパパン!からの「悩みあんだよ」っていう、有名芸人だからこそ出来てかつ、そのクオリティも高い最高のツカミ。

 ゆにばーすが凱旋するってかなり怖かったんですけど、やっぱり構成と技が見事でした。ディベートという形式で、会話も出来ていやぁ見事で気持ちいい。ただ、ちょっと踏み込んでくる笑いが欲しかった。

 ゆにばーす川瀬が言っていた初めての風俗って、東京都台東区上野公園内、不忍池の畔にある台東区立の下町風俗資料館のことらしいです。

 

 

4.敗者復活(ハライチ)

 ハライチのターン!!

 ラストイヤーで、敗者復活でのファイナリストになったのはお見事ですね。最初は、澤部メインのネタと思わせて、あれ?ちょっと笑いが少ない?って思い始めた時に、岩井が癇癪を起こすという本当の狙いに入っていく。そこからの仕掛けは単純ではあるけれど、やっぱり岩井が動きまくって、今まで見せていないものを見せるとやっぱり笑ってしまう。

 「M-1は落語で言うと、古典に新作で対抗している」と岩井はやや腐っていた時期があったのを考えると、ラストイヤーで岩井が爆発して地団駄を踏むようなネタをかけたのは、M-1への最後っ屁みたいでカッコいいね。

 ラストの岩井の一言、本人はボケのつもりで言い始めたけれど、口から出た瞬間、本音になったようで、まさにM-1に見出されたハライチのM-1参戦を締めくくる見事なものでした。お見事でした!

 

5.真空ジェシカ

 学生お笑いで名を馳せて、エリートと言われながら、イマイチ行ききれてなかったけれど真空ジェシカ。もう少しファイナリストになるのは後だと思っていたけれど、まさか今年来るとは!

 その後も、吉住のネタが仕上がっているという最悪な情報が入ってきたときはどうしようかと思いましたが、大健闘でした、冒頭は、転校生のシステムで、ボケを重ねて、中盤以降は、今年かけまくっていた、探検家のネタと同じように場面が展開し、違うタイプのボケを入れてくる。このガッチャンコは功を奏していました。ボケの強度が映えるし生きる構成になっていたと思います。

 順番も良かった。

 真空ジェシカが得意な2ちゃんねる(今は5ちゃんねる)的な笑いである、縦読みにしたら「助けて」となるというような笑いを、「ヘルプ」の手信号というくだ理にして、M-1という舞台でウケる仕様にしてて、底知れない努力が窺えました。

 敗退のシーンでで、キングオブコントの待機の仕方やったら、真空ジェシカはもうM-1に忘れ物ないだろ

 

6.オズワルド

 普通の話から入っていって、徐々に二人で共有する常識がずれていき、「いい感じのイリュージョンに突入するようなネタがやっとオズワルドのトーンにはまっていて、これだな、これだな、感がすごかった。

 

 

7.ロングコートダディ

 ロングコートダディM-1ではずっといろんなシステムを変えてきて、コント師M-1に上がる道を模索していたという印象があるんですけど、今年はそれがハマったのでしょう。ロコディの二人のニンにあった、賞レースしすぎていないファニーな漫才。

 その割には点数が伸びたのは意外とコント漫才がすっと入ってきたのもでかそう。

 ワニに生まれ変わりたいところから死んで、死後の世界でのやり取りを描く。生まれ変わりがランダムでありながらしりとりだということに気がついてからも笑いがまた変わって、いい感じに尻上がりでいった。何より、シンプルに、兎が肉うどんとなり座れる顔が面白い。

 わにを待ちすぎて、わにのことを考えすぎてるから、ラコステで一旦間違えるっていう、ないないの中でのあるあるが秀逸でリアルなのを一個入れてくるのが、ロコディはマジで上手すぎるんだよな。

 あと、「肉うどん」でしりとりが終わってるから、最後だけ「お前」呼びになる可能性あるなどの余白もすごい。

 

8.錦鯉

 錦鯉の進化って二種類あったと思うんですけど、一つ目はもっと会話をするのと、もう一つは昨年の方向をさらに押し進める。ネタを見ていたら、そっちに行ったのね!となりました。

 馬鹿に老化も加わっててのつけらさらに強くなっていました。

 個人的にはリズムが短調で、笑いが散発的になってしまって、ちょっと乗り切れなかったんですけど、なんとかファイナリストに食い込みました。

 

 

9.インディアンス

  もうなんか、良くも悪くも、この中で、賞レースということを忘れてしまいそうになる漫才で、その強さって凄いですよね。

 

 

10.もも

 なるほど、これが噂のももか!

 ルッキズムとして叩かれそうと想定されがちだけど、絶妙に、褒めも入っているからセーフ!!

 ただまあ、ネタとしては粗々ではあって、もっと、結局はガワの話で終わっているので、もっとストーリーが展開していくような変化が欲しかったなあ。テンポもまだ詰めているだけで、まだまだ気持ちいいとは言えない。

 これからの進化が楽しみではあります。

 

 

ファイナルラウンド

1.インディアンス

 楽しんで漫才をしていたんじゃないでしょうか!!

 

 

2.錦鯉

 タイタンライブで見たネタ。

 最初からギアフルスロットルで、まさのりさんの「馬鹿」が領域展開されていました。

「森の中へ逃げ込んだ」「じゃあ良いじゃねえか」でワンテンポあって笑いが起きるって、客が全員、まさのりさんの馬鹿に引っ張られてるってことでめちゃくちゃ良いですね。

 フルスロットルで始まったからこそ、後半の盛り上がりとか心配になるんですけど、そんなこともなく、走り抜け、しっとりと終わるという絶妙な構成でした。

 これまでの錦鯉にない一面も見せてきた印象を受けました。

 

 

3.オズワルド

 いやー、何かでこのネタ見たことあるはずですが、その時は面白かったんですけど、今日は何かに飲まれていた気がします。

 スタートダッシュが失敗したのか、ネタがそもそもファイナルラウンド向けではなかったのか。練られていないネタではないはずなんですけど。

 

 優勝 錦鯉

 ファイナルには食い込むかなと思いはしたものの、ランジャタイやモグライダーに飲まれるかなと思ったんですけど、お見それしました。

 お見事です。おめでとうございます。

 ピュアが勝つ時代だ!ピュア勝つだ!!!

 

 明日は休みですので今日はもうしばらく感想を漁って、寝ます。

 家訓である、「賞レースの感想は5営業日必要」に従って、例年の構造主義的な感想は追ってお送りします。

劇団ひとり監督の『浅草キッド』見たよー

 みんな、ビーたけの浅草での下積み時代を描いた『浅草キッド」、ネットフリックスで見た?

 なんと言っても、柳楽優弥がほんとに凄くて、地方での営業でのスナックに入る時、体を小さくしながらビーきよの後をついていくシーンがあって、それが、あ、たけしってほんと、こういう感じだったんだろうなと思わされた所で、信頼したというか、テンション上がったというか、没入できた。

 予告編にもあった、柳楽優弥が右頬をあげるシーンのように刹那の瞬間が、震えるほど、たけしだった。モノマネとは違うのは、柳楽優弥演じるタケを見ていると、希望はもとより、苛立ち、絶望感や諦念などといった感情の行間を読んでしまうところだった。柳楽優弥の、細かすぎても伝わりすぎるビートたけしだった。

 ビートきよしを演じたナイツ土屋も見事で、二人が漫才をしている姿が繰り返し登場するけれど、様になっていた。面白い漫才は、無音で見ても、面白いことをやっているのが分かるというのが持論なんだけれど、少なくとも、当時を知らない自分が見ても、かなり衝撃的なことをやっていたということと勘違いさせてくれる見せ方をしていた。

 そして、それはどれもこれも、監督である劇団ひとりの、映画に向き合う誠実さの賜物だと思う。漫才もタップダンスが何度も出てくるが、どれも、その時々で、意味合いが異なる漫才だったりするということが伝わってくる。そういったこと一つをとっても真摯に向き合っていることが分かって、この二点だけでも、見た方がいい作品になっている。

 そして、これからビートたけしの伝説が始まっていくので希望の映画であるはずなんだけれど、どこか、師匠がいない世界で売れてもしょうがないんじゃないかという、虚無の映画にも読める。それくらい、現代パートのたけしが寂しい。

 

 さて、ビートたけしの下積み映画という構造上、やっぱりどんなに丁寧に作っても、想定以上の感動を超えないというのはどうしてもある。

 だからこそ、監督の劇団ひとりの、その真摯さや真面目さ、映画やビートたけしへの敬意などが表れてて、なんかそこにも感動してしまった。ネットフリックスで作った映画が、ヒットするということにも意味がある。それは、ツービートが捨てた漫才をいまだにやり続けている爆笑問題のようだ。そしてそれはたけしがタップダンスをし続けることでもある。

 監督で言えば、今回は売れること、ヒットすることに重きを置いていると思うので、今後も楽しみだし、何より一箇所でも、劇団ひとりが持つ狂気や何かしらへのフェティズムが現れたシーンが入れば、もっと映画としてピリッと異質ででもエンタメとして凄いみたいな所まで押し上げれる気がする。

 

 マジで見て下さい。

石を掴んで潜め的ベストラジオ21

 さて皆さんおはこんばんちは。

 早速ですが、ベスラジ21です。

 

第20位 『銀シャリのおむすびラジオ』(南海放送 毎週金曜日 23:00~23:30 放送中)

 愛媛県に行きたすぎて、南海放送のラジオのタイムテーブルを眺めていたら見つけた、銀シャリの『おむすびラジオ』。今年の春から始まり、全国各地でぽつぽつと放送されているようだけど、全く情報を見かけなかったので驚き、聞いてみると、15分ずつのトーク2本で計30分という番組構成。トーンも落ち着いているけれども、そこは天才漫才師、普通に吹き出してしまうくらいに面白い。まだ聞き始めたばかりなので、どの回が良かったとかではないけれど、ランクイン。

 しかし、公式のツイッターを見ても、どこの放送局が作っているのか、なぜ南海放送だけが30分と一番長くて、他は15分とかバラバラなのか、あまりにも謎が多すぎるところだけが怖い。

 愛媛のオススメスポット、コメントに残してください。

 

第19位 『問わず語りの神田伯山』「薄毛治療」(2021年9月24日、10月1日放送)

 今日も今日とてエゴサーチをしていたら、講談の会に来たであろうお客さんが芸のことは何も言わず、髪が薄くなっていることだけを指摘していた神田伯山が薄毛治療を始めたというトークを、ニ週間かけてじっくりねっとりとした回。

 薄毛と寄席演芸、TBSラジオと薄毛トーク、毛髪の量と政治思想の関連性、ミステリー小説のようにフィナステリドという薬に辿りつく伯山、フィナステリドの副作用でEDになることを知って思春期のトラウマが蘇り、治療に行くと出会ったやたらねっとりした医者とのやりとりを再現する。話芸の無駄遣いというくらいに面白かったが、心のどこかで、伯山の身に降りかかった小さな不幸が楽しかったのかもしれない。

 翌週はさらに改めて医者に会いに行ったとのことでその話をしていたのですが、それがさらにスイングしていました。

 ところで伯山が言っていた炎上三人のあと一人誰?

 

第18位 『アルコ&ピース D.C.GARAGE』「チャンサカ実家取り壊し」(2021年5月5日、2021年6月23日放送)

 

 ついに、チャンサカことアルコ&ピースの酒井の、砂壁でお馴染の実家が取り壊されるということで、片づけに行った話。

 写真を撮るために来てもらったカメラマンがリスナーで、「うぁ~、こりゃいいやぁ~」と砂壁ばかりを撮りまくっていた話や、母親と実家を片づけていたら、母親が亡き父親が隠していた宮沢りえの「SANTAFE」を見つけた話、最終的に平子が実家の土地を買おうとしていました。

 それから一カ月ほど経って、実家の取り壊し直前に引っ越しのために実家に行った話をしていた。電話番号がすでにつながらなったことで、本当に実家が無くなるんだという現実に直面し、その日の夜はぼろ泣きしたと話す。

 チャンサカの、実家トークには散々楽しませてもらってきただけに、どうしてもそりゃあどうしたってエモくならざるを得ない回でした。

 

第17位『ハライチのターン』「オープニング」(2021年11月5日放送)

 TBSラジオ開局70周年記念特別番組に岩井が出演するということを番組冒頭で取り上げ、爆笑問題の太田とジェーンスーと共演するという話題に入ったあと、岩井が「ただねぇ、ちょっと今ねぇ、あの太田さんとは距離を置きたい感じではあるんですけど。体がぼーぼー燃えてて、あ、でも12月24日か。誰も覚えてねえか!うん、もう。もうみんな、その時の興味しかないんだからさ」と、炎上していた太田をいじる。それから、澤部が、何でこの記念特番に呼ばれていないことに対して怒り始めるも、『ハライチのターン』の放送一万回を目指す澤部は、70周年でお祭り騒ぎしていることがダサいけどね、と言いだす。

 それから、アルコ&ピースの酒井の結婚の話題となって、空気階段の二人を「水川」「鈴木」と苗字呼びするノリが出て、岩井は空飛ぶバイク「XTURISMO」を買うためにお金を貯めるから結婚できないと言いだす。リスナーから、自分達も買うので空挺団を結成しましょうというメールを読み笑いあう。

 太田いじりからの世間いじりの美しさはもちろん、新旧のノリが詰まっていて最高なオープニングでした。

 今年も、『ハライチのターン』は独自のノリが色々と生まれた。こちかめ発動条件や、天然のマイクロマジック放流とか最高だった。そういえば満島ひかりが出たのも今年だった。

 

 

第16位『空気階段の踊り場』「俺たちの平和寮」(2021年7月12日放送)

 「ABCお笑いグランプリ」決勝後に大阪のABCラジオから放送し、そのサプライズで、鈴木もぐらと同じ大学の平和寮のYが登場して、夜中に知り合いの女の子に電話をかけるかけないで遊んだりしたという平和寮の思い出を語りまくった回。これを聞いていたら、俺も寮に通っていたら何か変わっていたかなあと思わずにはいられなかった。

 

第15位 『星野源オールナイトニッポン』「オードリー若林ゲスト回」(2021年9月8日放送)

 

 横のつながりを大事にするオールナイトニッポンとしては、火曜日のパーソナリティーである星野源と、土曜日のパーソナリティーであるオードリー若林正恭が良い感じのスパーリングトーク、でも、本当の本当のところでは誰も傷つかない感じの放送で、昔から知りあいだったけれども最近互いに意識し合うようになった二人の距離が縮まった良い回だったんだろうな、と思う。

 5年くらい相互フォローでお互いに、ツイートをお気に入りしていたけど、そんなにリプライはしない二人が、ついに初めて会うことになって、ライブ前に新宿のルノアールでおしゃべりして、あのツイート良かったですねとか、あれってどういう意味なんですかと尋ねあっているような放送で、聞いていて恥ずかしさがあったが、トークの内容は、具体的なことを言っているようで言っていないという感じで、そこにはそれほど秘匿性、もしくは秘匿性を持っているという幻想を感じさせることもなく、このくらいのネタバラシをしても二人とも大きなダメージはないんだろうなという感じで、自分でもビックリするくらい刺さらなかった。どこか他人事のようで、ずっとこの一連のトークは自分には必要のないものだなと、ぼんやりと思っていた。

 ここ一年ずっと『オードリーのオールナイトニッポン』がどうにも波長が合わなくて、なんか聞いていて楽しくなかったというのが前提にあるように、単純に良かったなーなどとは言えないような複雑な感情を明確に意識してしまった。

 番組の後半、星野源が「なんかあの歌いたくなってきたなっていうのが正直ありまして、なんか歌っても良いですか」と言い出し、スタジオ内で「Pop Virus」を歌い始めると、若林がラップで入ってくるというサプライズがあった。流石にそれは驚いたし、良かった。

 単純に、自分にはもう若林に、人生の指針などを求める必要はないんだなと、そういう勝手に他者に自己を投影するというグロテスクな感情を一個捨てていたということに気がついた回でした。これまで距離を近くにしすぎていた以上、しばらくは良い感じの距離感を見つけるのには苦心すると思いますが。

 

第14位 『アルコ&ピースD.C.GARAGE』「コインランドリー論」(2021年7月7日放送)

 

 冒頭のコーナー「今日のゴシップ」にコインランドリーの話題が出たことから、かねてより、コインランドリーを使う一部の人間に対して一過言を持つ平子が、熱くなっていた。

 「コインランドリー使ってる自分のイキった目線でしょ。いや、やってる奴いんだよ、たまに。俺はそういう観点では使ってなかったよ。だから、そういう奴らがいるから恥ずかしく思いながら使ってたんだけど、昔は。なんかぁ、そういうとこに、コインランドリーにいると、なんか、家で別に干せんのに、なんかわざとコインランドリー使って、なんかねー、映画の主人公みたいな顔して、ファッションも、もっとちゃんとした服持ってるくせに、わざとずるずるっとした学生時代のジャージのズボンに、忠信ランドリーするやつがいんのよぉ〜。その忠信ランドラーのせいで、俺もなんかそう思われるのやだなぁって俺だから逆に、なんかキメキメで行ってたのよ。俺は。ドレッシーなスタイルで。忠信ランドラーになりたくなかったのよ。CHARAの世界観だとか。女子だとね。わざと駄菓子食いながら、自分のを乾くのを待つ女。俺、シモキタの近く住んでたからぁ、多かったの、当時!古着のネオンカラー使ったみてぇな、文庫本をわざとボロボロの、金閣寺読みながらみてーな!!おめー、読まねーだろ逆さじゃねーのかなんならみてーな。」と、平子の、世界観を持ってコインランドリーに来る人たちへの怒りが走る。

 そして、コインランドリーを使っていたという酒井への尋問を始め、「昔のビーサン、上はTシャツ、下はサッカーパンツ、寝癖あり」で逮捕されてしまう。 

 その後も、平子の仮想敵に対しての怒りは収まらず、挙句の果てには「全然謝ってこねえんだもん」と言い出す始末。

 平子がコインランドリーについての偏見に塗れた持論「コインランド理論」を展開した地獄の7分間でした。

 

第13位 『東京ポッド許可局』「お笑い当事者論」(2021年8月28日放送)

 2021年の4月より、土曜日の2時台へと移動になった東京ポッド許可局。また深いところに戻ってしばらくしたころに、がっつりと、批評について話してくれた回。

 ケンドーコバヤシのインタビューでの「いよいよお笑い芸人側が、お笑い論を語る時代になってきました。人気番組も今そういうものが多いじゃないですか。“芸人としての心構え”とかそういうのを語る番組が。『あ、これはもう近々破滅するな』と思っています。それは過去の色んなエンターテインメントの歴史が証明しています。一度プロレスが地に堕ちたのも、そういうところありますからね」「「これまたプロレス界からの引用になっちゃいますが、『マニアがジャンルを潰す』という言葉があるんですよ。僕もそのマニアの一人でした。先鋭化し過ぎて、何か、認めなくなってくるんですよね。『こんなの甘い』と。そんな状況になってくる。プロレス界が一回破滅する直前に、前田日明さんとかがやり始めたのがプロレスや格闘技を語ること。あれが発端でした。それと今のお笑い界が非常に似ています。正直、本当に俺はビビっています」」という発言から、お笑い語り、そして批評、評論について話し始めた回。

 プチ鹿島は、ここ最近の、本人らによるお笑い語りに対して「確かにそういう話、僕も面白くて好きなんですけど」と留保しつつ、これまでにお笑い語りをやってきた自分達との決定的な違いとして「利害当事者か否かなんですよね。僕ら、好きで喋ってたわけで、自分のことを、成功した人が自分のことを喋るって本人にその意識はなくても何ていうか、お互い助け合ってるというか、是としている感じで、つまりそれって利害の確認だけじゃないですか。利害の確認ていうか。それよりは、なんにも関係ない、なんにも売れてねーやつが、M-1を語っているほうが、なんかこう、利害は関係無いじゃないですか。その差なのかなーって思うんですよね。どっちが良いってわけじゃなくてね。だからやっぱり成功したビッグネームが、あの時はねーとかこうだったんだよねっていうのは、でもそれ自分の歴史だから、自分史観だから、なんなんだろう、評論とはまた別だよね。本人がいくら正しいって言ったとしても、そこに評論の入る隙間は絶対あるはずなんだけどね。」と話す。

 サンキュータツオは、「例えばちょっと前、鹿島さんがねぇ、そのダルビッシュ投手がツイートで『いや、そうじゃなくてこうだよ』って言ったら、それが正解になっちゃう、それって、今までどうだったんだろう、ああだったんだろうっていう議論とかも、無効化してしまうくらい、ちょっと力があると。ただ、一方で、例えば、その文芸評論とか、その例えば、アートの世界でも、著者とか作者って基本的に嘘を吐くっていう風にも言えるんです。例えばそれがスポーツ選手でもお笑い芸人でも、その小説家でも、表現した人自らが自分を自己言及するっていうのは、その、全部正直にいうはずもないし、そこも含めて演出する人もいますからね。信用して良いかどうかっていう問題がまず一つありますよね。」「M-1優勝したら、チャンピオンがその日の夜に実はこうだったって言うとか、答え合わせをすぐにしてしまうっていう、そのスピードの速さについての問題っていう、これがまぁ、二つ目の問題あると思うんです。なかなかその、考える時間も無く、またその当事者が喋って、正解も先に出しちゃうっていうのが、なんかこう、昨日のあれ見た?あれどうだったかなって語る時間も無いし、でまた他のアングルを立てる時間も余裕もないですよね、いきなり正解とされているものが公式で出ちゃうから」と話す。

個人的には、お笑い批評なんていらないと断言出来ちゃう人は、小説でも、映画でも絵画でも、批評で感動をしたことがないってだけの人なのだなとしか思わないのだけれども、そういった人たちに限ってお笑いの少しの炎上で、慌てふためく印象がある。こういう時は批評眼というのは身を守る術にも成りうるわけですよ。

 例えば、お笑い批評に限らず、批評のルールを知ることで、批評のルールを守っていないけれども、なぜかパッと見では正しいようなことを言っているようなレベルの低い批評、もしくはそれに満たない誤読や自らのアップデートに合わせた誘導を喝破することが出来る可能性がある。

 マヂカルラブリーのネタが漫才か漫才じゃないか論争を例に出すと、漫才に対して批評が出来ていれば、あれは漫才だよ何故なら云々という風にそういったコップの中の嵐に動じることはない。

 批評の仕方が分からなければ、記録から始めても良い。ベストラジオも2013年からほぼ毎年続けて、良い感じのアーカイブになりつつある。何より作品だけじゃなく、自分の感覚や文章力などの能力の記録にもなる。

 東京ポッド許可局は、そういった批評の灯を、ユーモアでもって絶やさないようにしているちゃんとした番組だと思います。

 

第12位『伊集院光 深夜の馬鹿力』「空脳コーナーの『心の仮面の話』」(2021年9月14日放送)

 

 伊集院光が夏休みを取るために録音放送となった週で、放送された空脳コーナーでの「心の仮面の話」。父親の勧めでボクシングを始めることになり、そのトレーニングの一環として「心をコントロールするために、心の中で仮面をつけろ」という教えをもらう。父が決めたルールは「闘い用の心の仮面を心の中に準備しておいて、ボクシングのスパーリングや試合の前になったら目を閉じて集中して、心の中で仮面をかぶれ。そして試合が終わったら必ず仮面を脱ぐよう。」「仮面を用途に分けて複数用意しておいてそれを心の中で専用の箱にしまっておき、使う時になったら、それぞれの箱から取り出し、使い終わったらまた専用の箱にしまう。さらに、普段、寝る前など、心が落ち着いている時に、箱から仮面を取り出し、磨いたり、手触りを確認しておくように。」「仮面のデザインは自分で考えて、それを他の人、父にさえ言ってはならない」というもの。

 そこからの展開が凄くて、空脳の中でも五指に入るほどのメールでしたので、ラジオ好きの友人からMDを借りて聞いてみてください。

 

第11位『空気階段の踊り場』「『キングオブコント優勝』直後生放送」(2021年10月5日放送)

 

 春から月曜日の深夜0時から一時間番組となり、昇格後一回目で、水川かたまりが大学を早々にドロップアウトして、ゲームとお笑いDVDを見るという無為の日々を過ごしながらも、お笑い芸人になるという夢が芽生え始めていたが自分にはそんなこと出来ないんじゃないか、いやでもこんな素晴らしい職業はない悩んでいたある日のこと、「冬ですかね、僕が19の冬、雪の降る日ですよ。外を散歩しながら、i-podを聞きながら、シャッフルしながら、外を散歩してたわけです。ああ、雪綺麗だな、東京の雪。ひとりで見る東京の雪。こんな孤独だけど雪は綺麗だな。そんななかね、i-podから流れてきた曲、その曲に押されて僕はお笑い芸人になりました。」と、THE BLUE HEARTSの『未来は僕らの手の中』をかけてきた時はぶち上がったが、『キングオブコント』で優勝が決まった瞬間はその比ではなかった。

 オープニングから、ラジオが始まったばかりの音源が流れた、優勝してから初の放送は生放送で、二人の興奮がまだまだ収まっていない様子のままこの二日間を振り返る。

 番組も終りに近づいたころ、リスナーからのメールを読む。

 「もぐらさん、かたまりさん、キングオブコント優勝、ほんとにおめでとうございます。優勝が決まった瞬間、やったーというわけでもなく、うぅぅぅぁぅとキモい泣き方をするかたまりさんにつられて、ひとりで号泣してしまいました。私は中高時代は、もぐらさんのようにぼっちで光のない青春時代を過ごし、現在はかたまりさんのように、一流大学に入ったものの周囲の生きるのが器用な人たちにいびられ、どのコミュニティでも上手くいかず、親のすねをかじりまくるという情けない生活を送っている者です。しかし、おふたりが優勝する姿を見せてくれたことで、自分みたいなダメ人間でも、明るい未来はあるのもと、人生に希望を見出すことが出来ました。お二人は全国のぼっちと引きこもりの希望の光です。生まれてきてくれてそしてこうして素晴らしい景色を見せてくれてほんとにありがとうございます。」 

メールを読み上げたあと、もぐらは「つらいよねぇ、こう、ぼっちで。その周りはね、その上手く生きる人たちはたくさんいますよ。器用なね、えー、世渡りが上手いというか、そんななか割ばっか食わされてみたいなね。うん。多分、感じなんだとおもうけど。まぁ、でもね、ぼっちではないです。一人ではないですから。えぇ、もう、メランコリーベイベー。俺がいるじゃないの。もうね。もうねぇ、あのぉ、やっぱりねぇ、ほんとになんていうの、光りがない、ぼっちとか、ひとりだとか何やっても上手くいかないってのはありますよ。私もね、ほんと電気が通らないね、四畳半の一万七千円のボロアパートでですね、布団にくるまりながらねぇ、もう、ずーっとね、布団にくるまりながら、暗いのに布団にくるまって、ね、光はどこだということで、探していたわけですけども、でもそれでももう、がむしゃらにね。もがいてもがいて、もう、がむしゃらにね、やり続けてきたことで、まぁ、こうやって皆さんの力、応援の後押しを受けてですね、私みたいな人間がですよ、私のような人間が、えー、こうしてね、キングオブコントチャンピォンなることが出来ました。えぇ、我々がね。あなただってそうじゃないですか。あなただって、そんな、胸を張れるような人間じゃないわけですから。我々も胸を張るような人間じゃない。ただコントが好きでやってきてそしたら皆が応援してくれて」と、この番組の発明である、熱をもってリスナーへ語りかけたあとに曲紹介をするというくだりに入っていき、「ぼくたちはっ、ひとりじゃないよっ。ひとりじゃないっ。俺とおまえはひとりじゃないっ」と銀杏BOYZの「エンジェルベイベー」を流そうとすると、曲がかからず、一瞬無音となる。二人がとまどっていると、ブースのドアが開く音がして、「おめでとう」と言いながら入ってきた男に、さらに驚く二人。入ってきたのは銀杏BOYZ峯田和伸だった。とんでもないサプライズ、いわゆる越崎マジックだ。

 峯田は空気階段の二人をねぎらい、「ピュアが勝つ時代になった」と宣言し、「エンジェルベイベー」を弾き語ってくれた。それは空気階段のスタートの夜だった。

こんな美しい夜を、11位にしちゃダメだろ。

 

第10位 『NICE POP RADIO』「ディスコ特集」(2021年8月13日放送)

 

 新型コロナ第五波、鬱第三十波の真っ最中であり、後年「あの夏を下回る夏はないよ」と振り返ることになることになるであろう頃に放送された、スカートの澤部渡がパーソナリティーを勤める『NICE POP RADIO』の「ディスコ特集」の回がランクイン。

 「なんてったって八月ももうお盆でございます、帰省が出来ない人も多いと思います。なのでまぁ、各自それぞれのディスコに、ディスコ、インナーディスコを用いましてね、それぞれのボリュームを持って、踊ろうじゃないかっつー、星野源さんみたいな感じになってきましたけれども、とにかく、ま、盆だし、盆踊りで、非常に良い具合のディスコサウンドをいくつかお届け出来たらと思っており、ますー」ということで、坂本慎太郎の『ディスコって』から始まりBoney M 『Daddy cool』、The Stylisticsの「愛がすべて(Can't Give You Anything (But My Love))」、Donna Summerの『Bad Girls』、吉田美奈子の『タウン』、桑名正博の『哀愁トゥナイト』、Daft Punk『Around the World』、SylVestarの『You Make Me Feel(Mighty Real)

」,Sparkの『The Number One Song In Heaven』がかけられた。

 その合間に、自らのディスコへの憧れのような感情のルーツが、電気グルーヴの『Shangri-la』でのBebu Silvettiや、『VOXXX』でArabesqueの「Hello Mr.Monkey」のサンプリングだとか、音楽にまつわる話をしながら、「ディスコミュージックっていうのがやっぱ最高だったっていうのが、今になってよく分かるって言うのが、やっぱそのディスコって場があって、で、その場が、その、なんというかフラットな場だったらしいんですよ、そのぉ、僕はディスコなんてものは一度も行かなかったし、なんだったらクラブだって、よくこの番組でクラブでこの曲かかっててさぁ、なんて言ってるんですけど、それは大体深夜の下北沢のモナレコードっていう、変なところで、聞いたりとか、そういうクラブなんで、いわゆるこうイケイケのクラブじゃなかったりするんで、そういう場があるってことがもう自分にはかなりフィクションめいたものに感じるんですけど、『ル・ポールのドラァグ・レース 』でも、ディスコってのは階級とかそういう、性別とか、ゲイであろうがストレートであろうが、なんであろうが、とにかくみんな平等にそこに音楽を求めに来て、で、そこで音楽がなって、それを楽し無ことが出来た、みたい話をしていて、うぁー、そんな場所があったら、ほんとに最高だよなぁ」と憧れを滲ませる。

 ダディクールと言われてもアスキーアートくらいしか思い浮かばないくらい音楽について詳しいことは分からないし、高校生の頃に文化祭で踊ったらあまりのダンスセンスの無さにクラスメイトの女子が腹抱えて笑ったくらい踊れない僕にも分かるくらい、どれもグルーヴィーで確かにちょっと体を動かしてしまったりと、鬱々とした心にアジャストして、最高でした。

 いつの間にか長いことナイポレを聞くことが習慣になっていたけれど、今年は特に、澤部の音楽語りやたまに出るお笑いや漫画などのカルチャーの話が挟まれるのが、とても落ち着いて、やたらと良かったです。

 その他に、ラジオと音楽といえば、「アフター6ジャンクション」(2021年10月18日放送)の「LIVE & DIRECT」でのRAM RIDERによる「緊急事態宣言があけた今だからこそ聴こう!TBSラジオ」と題された、TBSラジオの番組テーマ曲のMIXもブチ上がりました。

 『藤岡みなみのおささらナイト』は安定していい曲を流してくれますが、何と言っても、FM沖縄の『真栄原ミュージック』を聴き始めました。FM沖縄のアナウンサーの西向幸三と、『深夜の馬鹿力』と『爆笑問題カーボーイ』リスナーにはお馴染みの與古田忠が二人でパーソナリティーを務める『真栄原ミュージック』。元々、西向幸三がやっている『ゴールデンアワー』が仕事で車を運転するときに聞くのが好きで、その流れから聞いてみたら、いい感じの音楽番組、ぼーっとする時とかに聞いたりしています。

 

第9位 『ナイツ ザ・ラジオショー』「永野ゲスト回」(2021年11月18日放送)

 

 ニッポン放送の『ナイツ ザ・ラジオショー』に永野がゲストに出た回。

 「永野が来れなくなりまして、急遽、代わりに来ました、クロスフィットトレーナーのAYAです。」と一回だけウケたという挨拶から始まり、かつてはよく一緒にいたというカミナリに対しては「ブレイクしてから彼らあんま連絡が無くなっちゃってて」「個人的な付き合いはないです」、営業で一緒になる芸人に対しては「それこそ賞レース、M-1とか、あとキングオブコントとか、そういう人たちが気難しい顔で袖で喋ってんですよ。あと冨澤君がこここう何秒、じゃないけど、そういう話してて、で、俺なんか陽気な、なんか白髪の腰振り男みたいな、腰振りしてこいみてーので、誰も見てねーの俺、意外と沸かせてるんですよ、客席。だけどお前はどんな沸かせてもお前は邪道であるからみたいな扱いで、で、パーっと戻ったら、冨澤君があそこのボケがなんか、あそこ三つめがなんかとか、あーあー、白髪帰ってきたかみたいな。」と愚痴をこぼしたり、サンドウィッチマンには「トリ前が僕なんですよぉ、で、いっつもサンドウィッチマンが出てくる時、やれやれみたいな。やれやれ、ね、あの人、実は先輩なんですよ、キャリアで言うと。あんな奴が先輩なんだって笑いが、ブハハハハハみたいな。変なね腰振りも帰りましたところで、どーですか、漫才始めますかみたいな。」と、マネージャー陣には「きったねぇ口の利き方だったのに、まじめに、人を愛しましょうみたいな。」と開始数分で、ありったけの悪口を撒き散らしていたが、

 後半の畳み掛けは凄まじかった。

 「ナイツに聞きたいんですけど、あの、分かりやすく言うと、うちの東京ホテイソンとかは、舞台袖とかで、なんか、言えばここに腰振りが座って、それでいると、前で、腰振り化け物男。目の前で、背中見せて練習している感じ、二人で。あれってナイツはどう思うんですか、昨今の漫才師の姿勢。もちろん僕だって、こう見えても、それはガッという気持ちで行きますよ。真剣な顔にはなりますよ。だけど、そこまで見せるかなみたいな。あのー、ものすごい難しいことをやってるんだ俺たちはみたいな顔、カミナリとかも作るんですよ。えっ、漫才師っていうのは、そりゃ、みんなユーチューバーとか目指すぞみたいな。そんなめんどくせぇ仕事、誰もやんねぇよ。」「コント師コント師で、なんかねぇ、コントってそれこそひょうきん族とかでスリッパとかで叩いたり、お前昨日ほんとは〜とか入れたりしてたじゃないですか。医者コントでも。土屋お前は、とかプライベート言ったり、だけどなんかもう、演劇の世界からこんにちはみたいな顔で、ゾフィーとかいるんですよ、気難しそーな、絶対お前そのポーズって、俺を威嚇するためにしてんだろみたいな。」と捲し立てていると、事務所からクビを言い渡される大オチがついていた。

 自分で振っては悪口、ナイツに話を振られても悪口と、ももいろクローバー高城れに新沼謙治以外全員に悪口を言い続けるという普段の手口で、笑いを起こしては、根こそぎ刈りまくっていた永野はやっぱり最高だ。

 余談ですが今年一番笑ったのは、『マヂラブno寄席』での永野です。同じネタを三回見て、三回椅子から転げ落ちました。

 

 第8位 『伊集院光 深夜の馬鹿力』「『三遊亭圓楽伊集院光二人会』振り返り」(2021年6月15日放送)

 

三遊亭圓楽伊集院光の二人会の翌日の放送では、興奮もそのままに当日に至るまでの様々な事件をトークしてくれた、幸運が重なって落語会を見に行けた自分にとってはもちろん最高な思い出が永遠にパッケージされたようだったし自分なりのプランで本番を迎えたいのに、自らのペコマン体質が故に翻弄されたり、この半年近く夢に出てきたラモス瑠偉そっくりの落語神との別れ、漫才中に乗って来て圓楽のスキャンダルをいじりまくる爆笑問題への愚痴、そして圓楽が当日かけたネタが桂米朝の「一文笛」と桂枝雀の「行ったり来たり」というネタの凄さなど、行きたくても行けなかったリスナーも楽しめるように配慮された、最高な思い出が永遠にパッケージされたようでした。

 落語会に行って来たレポはこちら https://memushiri.hatenablog.com/entry/2021/06/15/212318

 

第7位『アルコ&ピース D.C.GARAGE』「RNジャンボジェット」(2021年6月22日放送)

 なんといっても今年のラジオのコーナー部門の優勝は、なんといっても、「Brain sleep」のコーナーでしょう。

 「スタンフォード大学で睡眠研究を行う、西野誠司先生の著書『スタンフォード式 最高の睡眠』という33万部のベストセラーから生まれた枕、ブレインスリープピローとのコラボコーナーに参りましょう。Brain sleep。このコーナーはリスナーから寝て忘れたいことを送っていただいております。」というコーナー紹介が耳にこびりついているリスナーも多いことであろう。要は、うわーとなってしまう思い出を投稿するコーナーなのだけれど、これが、『アルコ&ピース D.C.GARAGE』の世界観とリスナー層にばっちりフィットし、化け物コーナーに進化し、嵐のようにリスナーの心をかき乱しては去っていき、二度寝、三度寝と蘇った。

 そんな中でもラジオネーム・ジャンボジェットさんのメールは燦然と輝き、爆散していった記憶を記録に留めたい。

すでにラジオネームでアルコ&ピースの二人は、なぜか大爆笑するという 変な空気が充満しているなか、平子がメールを読む。

「中学の時、同級生に告ったのですが、振られました。僕は誰もいない校舎横にあった林の方に『はい、罰ゲーム終わりぃ、お前らこれで良い?』と言った後、その子に、『あ、なんかサンキューね。助かったわ。』と言いました。後から知ったのですが、実はその子は先輩の彼女で、それを知ったその先輩がキレて、それ以来学校で会うと、めちゃくちゃ睨んでくるという攻撃をされ続けました。殴られるとかじゃなかったのですが、それが逆に怖くて、僕は空手を習うことにしました。その空手教室が夏やっているバーベキューで、川エビを生で大量に食べるというボケをしたら、胃腸炎になって病院に行くことになりました。恥ずかしくてそれ以来、空手教室には行けなくなったので、家の庭を使い、教室で習った基礎練習をやっていました。空手の道着を着ながらやっていたら、塾に行く途中のクラスの陰キャがじっとこっちを見ていて、僕に向かって『達人ですなぁ』とヘラヘラしながら言ってきました。その少し後にラジオと出会いました。ブレインスリープ」

 「リスナーの申し子じゃん!」と平子がツッコミ、二人で大笑いした後、そのメールの内容のめまぐるしさに、改めて整理をするほどであった。

 しかし、今年は、アルコ&ピースはとても良かった。賞レースへの参戦もあったし、youtubeのチャンネルも自由で楽しく、なにより、『アルコ&ピース D.C.GARAGE』がなんか良かった。

 早く東京に行って、アルピーチャンネルの聖地巡礼をしたい。誰か一緒に黄金湯行きましょう。

 今年はずっと言っていたけど、アルピー二人の関係もものすごく良好で、かつ賞レースへの復帰などの外でのイベントもあり、ラジオの平場が面白いかっただけに、川崎の悪童ラジオスターの年貢の納め時という酒井の結婚はめちゃくちゃベストタイミングだと思います。

 ただし『チョコレートナナナナイト』の結婚報告回は怖くて聞けていません。

 

第6位 『東京ポッド許可局』「必要悪・不必要善論」(2021年7月25日)

 

 マキタスポーツが、とある縁切り神社に行ってきて、他者に対しての悪意ある言葉が書かれているそれぞれの絵馬を見て、その書かれている内容の悪性さにたじろぎつつも、「縁切りをどんどん来てください、受け付けますっていう。なんかさ、人のそういう、なんか悪意とかネガティブな気持ちとかを、押したてるってなかなか勇気のいることだったりしませんか。で、それは他のことも受け付けたいっていう欲の部分を省略して、看板をぼーんっと打ち立てる」ということが、ビジネス的には凄いことなんじゃないかと考えているという話を始める。

 続けて、「この番組でもずーっと昔から例えば悪性のエンターテインメントっていう言葉で言いましたけど、なんか、例えばプロレスとかにしても、なんかこう、野蛮なものとかをこう、なんか表現しているとか、出ても、面白いじゃんっていうこと。あと、凄くカロリーが高くて、体に良くないって言われてるものでも、美味しいものとの付き合い方ってあるでしょって。だから悪性っていうものの考え方が、世の中と、少なくとも俺らが、このデビューして、しかもこう東京ポッドという番組とかを始めた当時からもだんだん変わり始めてきた時に、役に立つっていうことも、その必要悪のあり方というか、ニーズ、っていうものもだんだん変わってきているなあって思うに、あ、こういうだからさ、絵馬、悪意の物凄く固まったようなものとかを見た時に、結構ショックだったし、凄く興味深いな」「両輪あって良いなということは改めて思ったけどね」と話す。

 それを受けて、プチ鹿島が「必要悪の反対って、これ言葉遊びかもしれないけど、不必要善ですよね。今こっち多いですよね。」と返すと、マキタスポーツサンキュータツオの二人は、「確かに!」と感心する。

 さらに自分が興味のないものへの向き合い方にこそ、教養や知性が現れるという話へと移っていく。

 マキタスポーツが、「知識ってただいっぱい知ってるって感じだけど、それをどう解釈するかっていうのは教養っぽくない?なんかどう使うか、みたいな。どう感じるのかっていう、センスみたいな話だけど」と話すと、サンキュータツオは「それはね、俺知性だと思う。教養っていうのは、歴史に対する畏敬の念と知らないことへの恥、自分が知らないっていうことへの恥。だからまだ知らないことがあるはずだし、自分が気づいていない、例えば、マキタさんが多分食材とかでね、にんじんまずいっていうんじゃなくて、にんじんの良さがまだ分からないっていう、俺それ教養だと思う。でも、同じこと。プロレスなんかいらないっていうのと、まだプロレスの良さが分からないっていうのは姿勢の違いじゃん。だから自分がわからないっていうことへの、恥える気持ちですよ。そこを開き直っちゃうと、急に品や教養が無いっていうものになるし、情報を得ても、その使い方っていうのは知性の問題」だと説明し、「自分のことはさておいて、なんかあげつらって、こういうとこが悪い、ああいうところが悪いって言うのは、単純に教養が無くなっているんだと思う。だって、よく人のことを裁いていい自分って思えてるねっていうことじゃないですか。だからそこに、やっぱそのプロレスなんかいらないって言い切ってしまえるだけの胆力というか、ま、ある種の下品さみたいなものを感じることはある。」と続ける。

 改めて、めちゃくちゃ重要な振り返りをしているなぁと唸った。

 東京ポッド許可局の三人に限ったことではないことではあるが、東京ポッド許可局のメンバーの良いところというか、大事だなと思うところは、ある現象に対して、流行る流行らないとか関係なく名前をつけるところにある、世にある言葉を見直すということを逐一行うところにある。

 それは、名前がない問題を見つけるという行為である。

 昔からなのかもしれないが、今は特に、どこの誰かが作ったか分からない言葉がいつの間にか広まって、みんなが勝手に乗りこなしていて、それだけでなく、乗りこなしていない人間をその言葉を使って非難するということが当たり前になっている。もっと言えば、人を殴るための武器として使っていないか、という人も多い。最低でも、原本にあたっているのかなと思ってしまう。そういった言葉を、それこそ勝手に「配給された言葉」と呼んでいるが、ちょっとみんな、たかだか配給された言葉をありがたく受け取り過ぎじゃねえかと思うことが増えた。具体例を出すとすぐ怒られるから言わないけれど、それ他人の言葉で、他人の問題提議を自分も思っていたって思いこんでるだけだぞって、まあ、そこまでは思っていないですけど、「勝手に呼んでるんですけど」ってそれに抗う行為であり、知性と教養と笑いのセンスがないと出来ない立派な行為だと思います。

 

第5位『バナナムーンGOLD』「オークラが薦めるこの夏観た方がいいバナナマンのコント十選」(2021年7月31日放送)

 

 どうにか日程を調整出来なかったのかと思わずにはいられないけれども、バナナマンの二人が、ワクチン接種後の副反応のため、冒頭に出演した後にやった企画「オークラが薦めるこの夏観た方がいいバナナマンのコント十選」。

 東京03の飯塚悟志をゲストに迎えたこの企画。

 一本目の紹介から、オークラは「オサムクラブ(『処女』)」

 「まさしくその1回目の単独ライブでやったネタ。多分ね、1回目の単独ライブの中でも四番バッターみたいなネタなの。あのね、あの、軽くコントの設定を説明しますが、設楽日村が友達同士なんですよ。で、設楽さんが一人暮らしを始めたから、日村が遊びに行くという。遊びに行ったら、そこで設楽さんが日村さんに、『オサムクラブっていうのを創ったから入らない?』って誘うの。で、オサムクラブって何なのかっていうと、結局、オサム、自分自身を敬うクラブっていう。自分自身を神と崇めて、敬ってくれないかっていう勧誘をするんだけど、日村さんがそれに興味を示すの。面白そうだねーとかって。で、儀式とか色んな内容を聞くんだけど、そんなことやってる最中、家に電話がかかってくるの。まだ、その当時、携帯とか無い時代。家電ね、家電がかかってくるんだけど、日村さんが真っ先にその電話出ちゃうの。設楽さんの家なのに。で、設楽さんがそのオサムクラブの勧誘をしながら、日村さんが電話を出ることに、ん?と思って、何で俺ん家なのに、電話出ちゃうのっていうみたいな、日村さんは一人暮らししたことないから、家の電話に一発目で出るってことに結構憧れてて。で、設楽さんがオサムクラブに勧誘する縦軸と、日村さんが勝手に電話に出ちゃうという縦軸が同時進行に進んでいって、最終的に設楽さんが『何で電話出んだよぉ』ってキレちゃうっていう。で、日村さんが泣きながら、ほんと電話出ること憧れなんだよとかっていうコントなんです。」と、当時は若手芸人が単独ライブをすること自体のハードルが相当高かったこと、二本の縦軸が同時進行するコントがいかに斬新で衝撃的だったことを交えながら語る。

 バナナマンのネタの構造の革新性と演技力の凄さを話しながら、合間に、バナナマン、そしてオークラ、バカリズムアンタッチャブルアンジャッシュなど他の同世代の芸人たちの歴史 

 紹介されたのは、オークラが設楽の家で画質の悪い資料用ビデオで見てその衝撃で全く笑えなかった「ルスデン(『Private stock』『bananaman Kick』)」、オークラがコントって練習すればするほど面白くなるんだと気づき「バナナマンハイ」という現象が生まれた「お前の姉ちゃん見たよ(「RADIODANCE』)」、オークラが前期バナナマンの最高傑作だとしている単独ライブ『pepokabocha』の中でも一番の「secretive person(『pepo kabocha』)、バナナマンそれぞれが一人二役を演じながらどんどん展開していく複雑なネタの完成度もさることながら偶然の末に出来上がったことが思い出深い「Fraud in Phuket」(『Elephant pure」)、意外にシンプルな構造のネタだけれどもそれをちゃんと笑いに出来るバナナマンを再発見した「二重思考人間」(『good Hi』)、バナナマンの魅力であるキャラクターコントと「親殺しのパラドックス」がテーマになっている星新一的な世界がちょうどよくドッキングされていて見応えがある「dumb cluck」(『DIAMOND SNAP』)、一人喋りが延々と続く「THEOMAN ISLAND」(『TURQUOISE MANIA』)、設楽が作りそうな自分の考えとか思想とか哲学的なことが入れ込まれた、ラジオで話そうなことをネタの登場人物たちが話しているような『Air head』(『Super heart head market』)、最新の単独ライブでも更なる進化を見せつけるようなコント「scrambled」(『S』)。

 一本目のコントの紹介時点では、番組開始30分で、本当に10本紹介出来るのかよ!となっていたがどうにかこうにか出来ていた。

 特に「Fraud in Phuket」は初めて見た時に度肝を抜かれたのだけど、前日の夜まで完成しておらず、せめてカンペを見ながら演じることが出来るようにと、コントの冒頭で、机に設計図を広げることを決めたら、台本がどんどん面白くなっていったという奇跡みたいな凄い体験をしたという10年以上の時を経て知ったその事実にまた度肝を抜かれてしまった。

 バナナマンがやってきたコントの歴史の中から満遍なく選出されていることが実はとんでもなく凄いことだし、併走者がここまで熱を持った上で私的な思いや文脈を抑えながら語れること、そのこと自体がとんでもないミラクルであるということを改めて感じる。

 バナナマンのコントのガイドとしても永久保存版の回です。

 本日12月17日、朝起きたら、バナナマンの単独ライブ映像20作品がNetflixで12月25日から独占配信されるというニュースを見た。あまりにも良いニュースで、一日ずっとこのことを考えていた。この放送で、バナナマンライブのエンディングにもなった星野源の『日常』の「無駄なことだと思いながらもそれでもやるのよ」の一節を紹介していたが、この行為は無駄なんじゃないかと思いを抱きながらも積み重ねてきたものが花開いた瞬間でもある。これがいかに素晴らしいことか。

 ぜひ皆さん、ネットフリックスに加入して、バナナマンのコントを見てください。

 まぁ、俺はDVD持っているから加入しないでも良いんだけれど。

 

 

第4位 『爆笑問題カーボーイ』「近未来楽しいことは何も俺はないんですよ」2021年11月24日放送 

 

 きっかけは、ラジオネーム:寂しさが生きる原動力さんからのメールの挨拶文「太田さん、僕の理想の人生を送っている人こんばんは」を受けて、爆笑問題の田中が、「そんなですか、俺がですか。そんなことはないと思います、何が理想の人生ですか。全然ですよ」と怪訝そうに答えたことから始まった。

 そこから田中はこう続ける。

「一面だけ切り取るとそうですけどね。そんなことはないですよ、全然ですよ。ほんとに。もう、そんな理想的な、ドラマみたいなほうに思っちゃうんですね。世の中の人はね。もちろん、幸せですよ。地獄とは言わないけれども。まぁーでもほんとにあのー、そんなこう夢のような毎日は送ってないです。毎日泣きたいです。豪邸に住むことが、まあそれは分かりやすい感じでは幸せでしょう。もちろん、もちろんね。」

 太田に「じゃあ、何が幸せなんですか、じゃあ」と問われると、田中は、なんだろぅなーと考えて、こう答える。

 「毎日、楽しいなあ、楽しいなぁってそれは送れれば、過ごせれば、幸せじゃないですか。で、明日楽しみだなとか。もう、だから近未来が楽しいなって思えれば、一番楽しいんですけど、近未来楽しいことは何も俺はないんですよ、今。マジで。何にも、近未来楽しみだなぁが無いんです。いや、本当にそうなんですよ。だから、なんつーの、幸せなことは日々、色々感じることはあるんですよ。子供とのやりとり。家族のこととか。色々あるんですけど。あのー、まぁ、いわゆるこう、家のこととかも色々やってるわけじゃないですか。で仕事もあって、なんだってなるじゃないですか。で、当然、まあ遊びとかも全くしてない。まあ、コロナもあったのもありますけど、無くても遊びにとかも、ま、全然行ってないですしね。だから、あの、なんつーの、歌も歌えないし。カラオケとかももう、全く行ってない。歌えない。野球もしてない。ね。で、猫とも生活してない。」

 太田が「その分、だって家族が」と言いかけるも、田中はそれを制して「そうですよ、それはそうなんですよ。でも家族も大変じゃないですか。まぁ、言ってみりゃ。幸せだし、大好きですけども。もー、毎日事件の連続で。もう、泣きそうになることばっかりあるんですよ、生活が。子供育てるって。本当にそうなのよ。もうマジで。もう、泣きそうになる。だって、なんだろ、もう今日も昼間、なんかご飯を食べるなんつって、こうやってんだけど、とにかく、三人子供がいて、三人とも全く食べ進まないんですよ。親だから食べなさいだなんだつって、色々やって、じゃこっちってやってると、その三人が床に寝転んでゲラゲラ笑い出してとかってやって、そのうち、ヤクルト持ってこいみたいな話になるから、ヤクルト飲みてーってなるから、ヤクルトあれするでしょ、一番下がこう飲んでたら、お兄ちゃんがそれを笑かして、びゃーってなって、ヤクルトがべっちゃべちゃになって、で、うわーってなって、それも俺が拭いたりなんなりして、やってて、そしたら、なんか分かんない太鼓のバチみたいのがあったら、それをこう拾ってきて、バカダカダカダカダカダカだかって、ああああああああああああみたいな、もう、あれはね本当に、もう、それを幸せなんでしょうけど、それは幸せなんですよ。」と吐露する。 

 「近未来どうなるんですか、あなたの近未来っていうのは。」と太田に聞かれると、「爆発すんじゃない。ほんっとに爆発すんじゃないかなっていう。俺が。もうなんつーの。うわーーーみたいな感じで。子育てだけではないですよ、もちろんそれは。生きていくのは大変ですよ。談志師匠も言ってたなぁー、『ノンフィクション』で。『生きていくっつーのはほんとつらいねェー』。大変ですよ、体力も無いしね。」と締めた。

 言っていることはシリアスな話なのだけれども、「歌えない」「近未来」「爆発する」など、いちいち面白すぎる言葉が出てきて、田中が話している最中は太田を始めブースはずっと大笑いに包まれていた。とはいえ、人類史上初の悩みが全くない男とも評されたウーチャカこと田中裕二にとって、歌えないことは切実な悩みであり、楽しみがないというその現実は、それは他者から見たそして自分でも思う幸せすらも飲み込んでしまうという絶望がそこには横たわっている。

 この部分を妻に聞かせてみたら、笑いながら、泣いてしまいました。

 オープニングトークも、次のライブに向けたネタ作りトークだったのだけれども、それもめちゃくちゃ笑いました。

 「未来はいつも面白い」の最悪な対義語のような現状にあるウーチャカちゃんの近未来に幸多からんことを。

 

第3位『有吉弘行のSUNDAY NIGHT DREAMER』(2021年4月25日放送)

 

 前の前の週に読んだ、10行黒塗りされた拘置所からの手紙の続報が凄まじかった回。

「前回の黒塗りの手紙申し訳ありませんでした。どのような状態の黒塗りかは知りません。私の名前が書いてあるということで、ここの施設のクソ刑務官のオヤジに黒くされました。有吉さんの『出たら、メールください』という言葉嬉しかったです。出たら、手紙を書くつもりでした。でもやっぱり今書きます。私は求刑一年六ヶ月でした。(黒塗りのため省略)実刑一年というところです、多分。住居侵入との違いは、人が住んでいるか空き家かの違いです。私はこれまでに覚醒剤、詐欺、窃盗、道交などで逮捕され、前科七犯、前歴4件、検挙の数は16回、懲役は5回、私は去年の8月21日に、岐阜県にある女子刑務所を出所しました。両親は他界し、実家には認知症の祖母が一人で住んでいました。出所した私は携帯も家の鍵も持っていませんでした。実家に帰っても鍵がかかっていたため、その日、友人の家に遊びに行きました。友人は暴力団の男性ですが、その名の通り、言葉と右手の暴力だけの気の小さい男です。しかし、酒に酔ったその日、彼からの暴言で気の強い私は、彼を殴りました。何百倍にもなって返ってきました。手ぶらの、血だらけで、家から出された私は、初めて訪れた彼の家からの帰り道が分からず、灯りの点いた家に声をかけました。誰も出てきません。目の前に電話があったので、それを使って110番しました。地元の警察署の刑事さんが来てくれました。助かった、これで帰れる、と思いました。私は逮捕されました。目の前が真っ暗でした。刑事さん『ここ誰の家?』、私『知らない』、刑事さん『住居侵入で現行犯逮捕ね』。私は十日間拘留され、不起訴となりました。これは去年8月21日に出所した日に起きた出来事です。釈放された私は実家に帰りました。鍵はまだかかったままで電話にも出ません。私は石で窓ガラスを割って、自宅に入りました。地元の警察署の刑事さんがたくさん来てました。私は逮捕されました。目の前が真っ白でした。刑事さん『ここ誰の家?』、私『私の家』、『名義は、おばあちゃん。でも、おばあちゃん今、老人ホームにいて、ここ空き家になってるから。邸宅侵入で現行犯逮捕ね。』、私は不起訴を信じていましたが、起訴され裁判になりました。私はこの日の取り調べの間ずっと、菅田将暉さんの『間違い探し』を口ずさんでいたそうです。後日、担当刑事さんに聞きました。笑えませんでした。私は去年8月21日に出所をしました。その日に逮捕されました。きっと良いことありますよね。来年、必ずこの番組にメールします。では、お勤め、再度行ってきます。体を大切にしてお仕事頑張ってください。追伸 これは事実であり、面白い話の提供ではありません。だけど、自分のことながら面白い人生だなと思います。目指せ、偉人じゃなくて罪人!上の英雄じゃなくて、下の英雄!」

 メールを読み終えた有吉が「ダメだよ!!」とツッコミ、番組が始まる。

 これを番組で読めるというのは、擁護はしないけれども、突き放しもしないという方向に舵を切ることが出来る人は限られてくるだろう。

 素材とその後の軽いトークの旨味だけで、ランクインです。

 

第2位『爆笑問題カーボーイ』「ラフ&ミュージック振り返り」(2021年9月1日放送)

 爆笑問題が、『FNSラフ&ミュージック ~歌と笑いの祭典~』に出演し、『笑っていいとも! グランドフィナーレ 感謝の超特大号』からおよそ7年半ぶりに、ダウンタウン松本人志と共演した日の週の放送。

 何を言うんだ、という緊張感が凄かったが、ビートたけしのモノマネでのOfficial髭男dismの「アポトーシス」を太田が歌ってから始まり、高田文夫のラジオでの「いやぁー、ピリピリしてたなぁー、太田松本。ピリピリしすぎだろぉ、お前ら。太田もしょうがないんだよな、あれな、みんなが集まるとよ、興奮しちゃって抑えられなくなっちゃうんだよな。あいつ一人っ子だからよ。」という発言に「一人っ子だからじゃないよ、別に。」「そういうことじゃない」と爆笑問題の二人は笑いながら、高田文夫に喜んでもらったことに喜んでいた。

 個人的に、緊張感が一気に解けたのは、ホリケンことネプチューン堀内健の話だった。

 ホリケンは、太田には「おおっさーん、なにぃー、今日はどうすんのー。どうすんのー、たぁのしみだなー、たのしみだなー。オレ、ずっと見てるからさー。オレ、なんか自分のネタとかどぉーでもよくてさー。」と、田中には、「ゆうーじさんっ、ゆうーじさんっ。みんーなっ、期待してるよ。みんーなっ、期待してるよ」と絡んだようで、この、あまりにも想像できる堀内健の振る舞いの再現により、なんとなく、こっからは安心して笑えるトークが聞けるんだろうなとなった。

 太田は「俺はさ、世の中のことは、言ってみりゃ全て笑い飛ばしたいっていう人間だから。自分達の噂やなんか過去も含めてさ、笑い飛ばせたかなっていうのはいちばん良いよね。だってそれはさぁ、だって、そこが笑えなかったら、お前ら何なんだって話になるじゃん。」

 個人的には、太田がダウンタウン松本のことを「松本キャプテン」「松本さん」とわだかまりなく言えるようになったことだけでお釣りが出るくらいの笑い話になったと思います。

 ラジオの話から離れると、ダウンタウン爆笑問題の話題は、金玉と蟻の戸渡りの間のかゆみみたいなもんで、そのことを考えるくらいには憂鬱な気持ちを抱えたまま、金曜日にタイタンシネマライブを見に行ってきました。この日は、スペシャルゲストに神田伯山を迎えた、少しだけ特別な回。そのせいなのか、タイタン勢のネタがなんかダメダメだった。それは自分の、少なからず、映画館に来るということがストレスになっているという心理的な因子もあるだろうけど、なんかみんなあんま良くなかった。浮ついているというよりは、心ここにあらずみたいな感じで、客席もあまり乗っていなかった。

 そんななかで、始まった伯山の講談は『慶安太平記』より「鐵誠道人」。19席のなかの14席目。『慶安太平記』は幕府の転覆を計略した由井正雪の一代記だが、「鐵誠道人」は、その中でも大金を集めるために、一人の乞食坊主を利用するという、由比小説の悪辣さが描かれたパートとなっている。

 松之丞時代に出演した時にかけた、力が入り過ぎて、間もキツキツだった、でもそのギラギラさが良さでもあった「中村仲蔵」と比べて、余裕があって、でもパツパツに詰まっていて、今回も、良かったと思わずにはいられない。

 話の展開も、言ってみれば悪者が成功するという倫理観から逸脱したものでありながら、現代にも置き換えることが出来るものになっていたところもポイントが高い。よくよく着ていくと実は現代における炎上公開処刑エンターテインメントの構造を持った講談であることに気が付く。是非、youtubeで見てほしい。

 最後のスペシャトークで、「明日、ダウンタウンの松本さんと共演するんすか」と質問して、いつもの変な空気にして、きっちり講談で得た好感度貯金を切り崩して終わりました。神田伯山の、宵越しの好感度を持たないスタイルは、結果としてめちゃくちゃバランスが取れているのかもしれない。

 翌日。子供も早く寝て、『ラフ&ミュージック』を見始める。

 もちろん予想はしていたけれど、まさか、本当に最後まで待たされると思わなかった、いやでも、「寄席でも選挙でも、真打は最後に上がるもんだ」と立川談志も言っていたしとか悶々とした状態で、レモンサワーを飲みながら、ノブロックTVの生配信と、東京ポッド許可局の生配信を聞いて待っていた。そうしなければ、その三時間45分は耐えられなかったようなあまりにも冗長な時間だったけれども、いいともグランドフィナーレからの年月を思えば、ロスタイムみたいなもんと割り切るしかない。

 舞台に、比喩でもなく飛び出して来た爆笑問題。「松っちゃん見てる~」、「松本動きます」にひっかけた「太田、動きます」という、ダウンタウン松本いじりをマクラにした漫才は、なんのことはない普段の最高の漫才師としての爆笑問題だった。

 スタジオに入ってからも、きちんと「共演NG」「女子アナのステマ」「ダウンタウンのチンカス」と、ほんとうに言ってもしょうがないことを全て抑えていて感動すら覚えました。

 老害みたいなこと言うけど今よりネットが発達していないゼロ年代初頭、爆笑問題大好きで、無敵だと思っていたころに、水道橋の本読んで疑惑知ってショック受けて、そこからずっとモヤモヤしていたんですよ。いいともグランドフィナーレも敢えてリアタイしない位に。そんなアラフォーが成仏した感じです。

この二~三カ月で、伊集院光を生で見て、ダウンタウン松本と爆笑問題太田の共演をみて、何だかんだですげー年になったなと思いました。

 

第1位 『伊集院光 深夜の馬鹿力』(2021年4月6日)

 

 愚痴から始まった新年度一発目の『深夜の馬鹿力』。ブースの中で伊集院光の前の席に座って笑う担当のナオメヒヤが辞め、後輩芸人であり伊集院光のゲーム友達の埼京パンダースの河野和夫が転がりこんでくる。ラジオの帝王という呼称が広まってしまった中で、ラジオが始まったフワちゃんから「伊集院みたいになったらごめんね」と雑にいじられたことへのムカつき、そしてそのことに対して反論したらしたで、周りから大人げがないと言われるけれど、フワちゃんはそれ込みでいじってきているというその巧妙さに気が付いていない奴らへのイラつきをオープニングからトークし始める。それから、最近見ている『おしん』での悲しい展開に落ち込みながらも、どうにかドラマを見終わったら、実現出来るかは分からないけれども、朝の番組の『とらじおと』に脚本家の橋田壽賀子をゲストに招いて話を聞きたいと思っていた中での橋田壽賀子の訃報にもっと落ち込む。四川風モツのピリ辛炒めをUber eatsで頼んで、玄関に置いてもらっていたら、野良猫にぶちまけられて、そしてそれを妻に話すと、辛いもの食べて猫が可哀想だと怒られて、俺が悪いのとなったり、少し後の落語会の話し合いも兼ねて、師匠である三遊亭圓楽と寿司を食べに行った話、そしてその師匠に助けられていた、迷惑をかけていたということの詳細を30年越しに知って泣いちゃった話や、昔のことで謝りたいと思っていることが相手にとっては大したことない話だったりするという話をしつつ、フワちゃんを叩く話をするんじゃなかったと言いすぎたことをすぐ後悔する。

 冒頭からぐわんぐわんと色んな感情を揺すぶる、うねるトーク全て、これはもう「生きていくということ」そのものじゃないか。生きていくということは、誰かにムカつき、理解してもらえずにイラつき、色んなことに間に合わず、間抜けで、自分が悪くないのに怒られ、他人に迷惑をかけ、他人に助けられ、きちんと謝れない、なんであんなこと言ったんだと落ち込む。人間はそれら全てを抱えて生きていかざるを得ない。

 トークに出てきた『おしん』の中の、おしんの人生に降りかかるつらいことの数々も、伊集院がロケに行ってきた、軍艦島という存在そのものも、生きていくことであり、これらのトークのテーマのメタファーとして機能する。

 この日に出たトークひとつひとつが、一ヶ月に一回出てこれば良いくらいの濃いものだった。だからか、伊集院光本人も最後に「なんか、6時間くらい喋ったような気がすんなぁ、今日は。遠ぉーい昔のようだよ、オープニングが。」と、こぼすはずだ。

 伊集院光、ここにあり、という放送だったと思います。

 伊集院光が出演している『100分de名著』で取り上げられたことをきっかけに読んだ、オルテガの『大衆の反逆』には次のような文章がある。

 <明晰な頭脳の人間は、こうした幻影的な「思想」を振り捨てて生の現実を直視し、生のすべてが問題的であることを認め、自分が迷える者であることを自覚するのである。これこそ真理なのであるから―――つまり、生きるということは自己が迷える者であることを自覚することであるから―――その真理を認めた者はすでに自己を見出しているのであり、自己の真の現実を発見し始めているのである。彼はすでに確固たる基盤に立っているのだ。彼は、難破者と同じように、本能的に縋りつくものを探し求めるであろう。その悲劇的な、逼迫した、絶対に誠実な―――というのは自分を救わんとしているのだから―――眼差しが彼に生の混沌を秩序づけてくれるであろう。これこそ唯一の真実なる思想、つまり、難破者の思想なのである。それ以外は全て空言であり、姿勢であり、自己欺瞞である。真に自己を迷える者と自覚しない者は、必然的に自己を失う。つまり、けっして、自己を見出すことはないし、絶対に真の現実に出会いえないのである。>

 これは、伊集院光から見た、三遊亭圓楽や深夜ラジオという場であり、リスナーから見た、伊集院光や深夜ラジオという場であると受け取った。

 『爆笑問題カーボーイ』もそうだけれど、25年以上続いている番組で、ただトークが面白いというだけでなく、最終的には笑えるという程度の人生において些少な事件が適度に起きて、ずっとこんなに楽しめるというのも奇跡的であるということは重々承知している。『深夜の馬鹿力』番組としては、新しい構成作家陣が良い感じに番組に関わって活躍して、チーム感が強まって良い感じだし、個人的には「今の伊集院さんに読んでもらえたい」と思い投稿も再開したりした。

 落語、年に一回、いや二年に一回でもありがたいので続けてくれねぇかなぁ。

 ワーストラジオは、『爆笑問題カーボーイ』(2021年7月20日放送)です。楽しくなかったので。

 はからずも、今年のベストラジオは、生きていくことってのは大変だよ五連単となりました。生きていくってことは大変なんですよ。

 それでは、また来世。

 

 

 

 

 

 

おまけ

妻のウーチャカ感想

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